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郵便切手貯金台紙 [雑記]

台紙に切手をベタベタと貼った郵便貯金台紙。
値段も安いし、一つの使われ方として1枚や2枚は、皆さんのコレクションにも入っていると思います。
僕のアルバムにも、菊切手や田沢切手のものが何枚か収まっています。
ですが、それらは使用済として市場に出てきたものなので、当然のことながら貼付カ所には全て切手が貼られています。
こういう状態が普通なので、未使用のものについては今まで考えたことがありませんでした。
たぶん、皆さんも同じだと思います。

下の画像は、先日入手した未使用の貯金台紙。
入手先は切手商ではなくて、紙物を扱うお店です。
表面に小さく「大正八年株式会社博文館印刷所製」と印刷されていますから、印刷時期の確定はできます。

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僕が面白いと思ったのは、切手貼付面で下の画像がそれ。
普通は切手が貼られてしまい見えないのですが、切手を貼るマス20ヶ所にそれぞれ異なる標語が印刷されていて、一つ一つが面白いのです。

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縦が5ヶ所ありますが、その縦列で一つの標語の流れになっているのです。
いままで、ここまで見たことが無かったのですが、よく出来ているんですねぇ。
感心しました。

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キャスパリーの腕落ち龍 [雑記]

日本切手、特に初期切手の大きなコレクションの競売として、戦後最初のものといえば1958年10月のキャスパリー競売でしょう。

このオークションの経緯については、当時ニューヨークを訪れていた市田左右一氏が『切手の愉しみ』の中で若干触れています。

氏の著書で触れられているのが、龍二百文の腕落ち龍のこと。
今以上に珍しかった腕落ち龍が、キャスパリー収集には4枚も入っていたとか。

下の画像が、オークションカタログに写真が載っている腕落ち龍で、左は30枚、右は35枚ブロックの中に入っています。
赤枠がその部分で、これは僕が書き込みました。

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あとは、単片で1枚と6枚ブロックで1枚がありますが、これは写真が未掲載です。
今だったら単片でさえカタログの表紙を飾るはずですが、キャスパリー競売では白黒写真でさえ載せていません。

それにしても、腕落ち龍が4枚もあったとは、月並みな言い方ですがスゴイですねぇ。
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ザブトン [雑記]

皆さんは、自分が作った古いリーフはお持ちですか?
もしかすると、50年前、60年前に作ったリーフを持っている方がいらっしゃるかも知れません。
僕は、小学5年か6年頃のものが数リーフ残っているのが一番古いですね。

下の画像は、それよりもちょっと新しくて、リーフに印刷された製造年を見ると「77.5」って出ていますから、1977年5月のもの。
見ての通り、マーチンの使用済単片を順番に並べただけのもので、マーチンのアルバムの最初のページで、この後に各額面が続くという算段です。

当時は子供なので未使用よりも、大沢スタンプから購入した紙付きが主流だったので、こんなリーフになったわけ。

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ここで、見てもらいたいのは切手ではなくて、切手の下にあるザブトンなんです。
その昔は、ザブトンなんて発想がなくて切手をマウントに入れるか、切手の周囲を枠線で囲むのが一般的。
競争展でもそれが当たり前でしたね。

郵趣サービス社が「台紙セット」としてザブトンを発売したのが1978年。
先ほど記したようにリーフの製造年は1977年ですから、たぶんこのリーフは「台紙セット」が発売された初期の頃に作ったものだと思います。

1976年に刊行された『実戦アルバム作り』の中で、極く一部ですがザブトンに触れられているので、1970年代後半に現在のリーフ技術の一端が確率したのでしょう。
たまたま、手元にある古いリーフを見ながら、ザブトンについて考えたしだい。
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「オフセット原版と刷版 大正12年頃の製版技術について」

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僕の好きな郵趣誌に『JPC-UWA フィラテリック ダイジェスト』があります。
私家版の雑誌ですが、有益な記事が多いので皆さんもよくご存知でしょう。

その124号に、牧野正久氏による「オフセット原版と刷版 大正12年頃の製版技術について」が掲載されています。
直接的にはタイトルには出てきませんが、タイトルを見れば、すぐに震災切手関係の記事であることが容易に想像できます。

牧野氏の手法の一つに、足で稼ぐ取材法があります。
例えば、秀山堂での実地調査はその代表的な業績ですが、本文もその流れと同様なもので、震災切手の製造にたずさわった秀英舎で、当時働かれていた橋本氏と星氏に取材した記録です。
橋本氏は原版係、星氏は写真製版係であったそうです。

本文は昭和43年のものですから、まだ当時の作業を知る方が60代後半の年齢でいらしたのですね。
今となっては羨ましいこと。

本解説には牧野氏の聞き取りとは別に、橋本氏が取材のために用意した資料も添付されています。
この資料、直接製造にたずさわった方の記録として極めて有益。

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フォークランド諸島・キャンバー鉄道 [外国切手]

画像は、フォークランド諸島が1985年に発行した「キャンバー鉄道70年」記念切手4種セットからの1枚。

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この鉄道、島の山上にあるイギリス軍の軍事施設と港を結ぶために、軌間600ミリというミニ規格で1915年に作られました。
その用途は、軍事施設で使用する発電用石炭を運搬するためのもの。
ただ、その目的だけで使用されただけなら、普通にそこらにある軍用鉄道と同じなのですが、この鉄道が面白いのは、島民の娯楽用として週末に専用の列車、その名も「フォークランド急行」が運転されていたことですね。

画像が、その「フォークランド急行」。
名前は立派ですが、ちょっとねぇ・・・。
という感じの列車。

それでも車両には等級があって、切手では前から1等、2等、3等です。

日本では、今では多くの列車が全席禁煙ですが、僕が子供の頃は都市部の通勤圏を除けば、禁煙なんてありませんでした。
特に急行や特急は、オール喫煙車。

この「フォークランド急行」は、1等と2等が禁煙で、3等のみが喫煙車両だそうです。
そこで、3等車を拡大してみました。

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なるほど!
たしかに喫煙車ですね。
乗客がパイプを咥えています。
1等、2等の乗客は咥えていません。

一応、念のため1等車も拡大しておきます。

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細かいところにも気を配って図案化したことに感心です。
こうして見ると、地味だけど面白い切手。
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在日イギリス局のD30 [日本郵便史]

画像は、在兵庫イギリス局のカバー。
D30の抹消印とクッキリとした証示印が押された名品です。

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このカバー、石川良平氏の旧蔵品として著名だったので、古くからの収集家にはお馴染のもの。
氏の在日外国局関係の売り出しがサザビーズから行われた時には、数々の名品の中から選ばれ、オークションカタログの表紙を飾っています。

その後、しばらくは見る機会がなかったのですが、2007年に切手文化博物館の「神戸開港140年記念 切手と郵便資料展」にひっそりと展示されていて、とても驚いたことをよく覚えています。

D30のカバーは恐らくこれ1点のみだと思いますが、単片では何点くらいあるのでしょうか?
30〜40点程度??
状態の美しさといい、奇跡的なカバーです。
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秀山堂30銭切手研究の画期 [雑記]

1976年に創立30周年を迎えたJPSは、仙台や福岡といった東京以外の地方でも記念大会を開催しました。
その大会で開かれた講演会の一つに今井修氏による「塔30銭切手」があります。
下の画像は、その時に配布された16ページにわたる講演資料からの一部です。

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30周年記念大会という大きな会で塔30銭切手の講演が選ばれたのは、同じ年の『フィラテリスト』2月号で今井修・牧野正久氏の連名で「破れた2枚の秀山堂切手 秀山堂30銭切手の全貌」という、画期的な論文が発表されたことによるものと推測されます。

当時の秀山堂30銭切手は、今井氏の言葉を借りれば「どうも一般的には関心がもたれていない実情が悲しい」ということだったらしい。
それ以前にも、牧野正久氏や三島良績氏、伊東由巳氏による興味深い解説があったものの、一般的には知られず、秀山堂切手の面白味を知ることも少なかったらしい。

そうした意味においても、今井氏による1976年の2つの秀山堂切手に関する発表は、画期的なものであったと評価できるのではないでしょうか。
JPS30周年記念大会での講演では、資料を見る限りにおいては塔30銭切手全般を扱っているのですが、内容の大部分は秀山堂切手に関するものになっていることから、今井氏の思惑は秀山堂切手について知ってもらいたいことにあったに違いないでしょう。

1976年は、秀山堂切手の収集にとって画期的な年だったのではないでしょうか。
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インド・初期の1/2アンナ [外国切手]


ビクトリア女王を描く切手は、ニュージーランドやセイロンに代表されるような、素晴らしい凹版切手が多い中、その反対にモーリシャスやインドに見られるような、現地で印刷された素朴な切手もあります。
僕にとっては、そのどちらもそれぞれに魅力的で甲乙つけがたい存在。

下の画像は、インド初期の1/2アンナ切手で発行は1854年。
一連のシリーズとして捉えられる4アンナ切手はお高いので、1/2アンナ、1アンナ、4アンナの各額面でまとまったコレクションを作るのはとても難しいのですが、1/2アンナ切手に限定すれば、自分で楽しむ分には面白い切手です。

分類の最低ラインの基本はDie違い。
一番代表的な部分を赤丸で囲ってあります。

Die1
髪の毛の束の部分に毛の表現が見られます。
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Die2
1と違って、髪の毛がほとんど描かれていない。
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Die3
王冠のバンド部分の縦線の表現が不完全。
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上の3枚の切手で該当部分を見比べるとわかりやすいと思いますが、いかがでしょうか。

この切手、1シートは横8枚×縦12枚の96枚構成。
国際展ではリコンストラクションを含むのが定石なのですが、96枚となると超絶的な努力が無いと完成できません。
リコンストラクションは、枚数が進めば進むほどに穴埋めが大変なのは、皆さんもよくご存知だと思います。
以前に著名な手彫切手収集家から「最後の3枚が大変なの」「最後の1枚は人徳がないとね」と聞いたことがあります。
この「人徳」というのは仲間の協力と言う意味だと思いますが、40枚構成の手彫切手でもそうなのですから、96枚構成となったら・・・。
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濁点楠公 [日本ステーショナリー]

昭和8年2月15日発行の濁点楠公はがき。
告示には、「はかき」ヲ「はがき」ニ改正ス
と、記されています。

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画像は、その濁点楠公はがきの未使用が2枚。
楠公はがきのアルバムから抜いた画像です。

左右のはがきの色の違いがわかりますかね?
左が淡い色で初期のもの。
右が濃い色で後期のものです。
左の初期の色は、その前に発行されていた点無し楠公はがきと同じ色調ですから、用紙の色と濁点の有無の組合せで、変遷の様子が明瞭に読み取れます。

右の濃い色は、昭和10年頃から徐々に濃くなっていくようですが、市場に残されている未使用は圧倒的に濃い後期のものが多いですね。
僕のコレクションでは、初期と後期の明瞭な違いを2枚の未使用で表していますが、中間的な色調も存在するので、中間色を加えて3枚で表現するのも面白いかと思います。

皆さんは2種の色を、揃えていらっしゃいますでしょうか?
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米国・コロンブス博2セント 

画像は、1893年に米国が発行した「コロンブス博覧会」記念切手の中から2セント。
この記念切手、16種セットというロングセットで、しかも凹版の大形切手ということで、米国切手収集家以外の間でも有名ですね。

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この切手、低額面は駄物級なのですが、ドル額面になるとカタログ価格では、おいそれとは買えない評価になっています。
もちろん僕も持っていなくて、図入りアルバムがいつまでも空白のまま。

画像の2セント切手の使用済は、今を遡ること35年ほど前に買ったパケットから出てきたもので、当時は、こんな切手が出てきてビックリしたものです。
だから、今でも記念品的な感じでアルバムに貼ってあるわけ。

この切手の発行枚数は15億枚で、ほぼ同時期の「明治銀婚」の2銭が1480万枚ですから、その駄物加減ががわかると思います。

『ブルックマンの解説書』には、3種の色調のバラエティのほか、凹版特有の二重転写、三重転写、それどころか四重転写なんて、他では見たことがないものまでリストされています。
実用版は135面もあるそうですから、版欠点も大小たくさんあるのではないでしょうか。

最初に書いたようにコロンブス博は、ドル額面になると普通の収集家なら1枚買えば上がりになりそうな切手。
ですが、2セント切手は駄物ですから、バランスよくセットで収集するのは至難の業。
そこで、安価な2セント切手に限定して遊ぶのも面白いかと。
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福井大野元町局の風景印 [風景印]

下の画像は、福井県大野市の所在する大野元町局の風景印。

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図案は、上に描かれているのが大野城で、下が「名水百選」にも選ばれた御清水という清水。

大野城は大野盆地のほぼ中心にある独立丘陵上に作られた平山城で、近年では「天空の城」として、兵庫の県の竹田城の宣伝文句をすっかりパクって姑息な宣伝を展開中。
個人的見解で言えば、大野市の魅力はパクリ宣伝の城なんかよりも、豊富な地下水だと思います。

風景印に描かれた御清水ですが、「おしょうず」と読みます。
大野市は元々地下水が豊富で、市内のあちこちで湧水が見られましたが、地下水の汲み上げにより枯渇してしまい、昭和の終り頃には水量も撃滅。
水量が減れば水の流れが鈍くなるので、湧水地は荒れていきます。30年ほど前は、そのピークで本当に酷い状態でした。
そんな状態を見た市民の間から、地下水、湧水地の復活を望む運動が出て来て、市民と行政が共に取り組んで復活させたのが、風景印に描かれた御清水です。

よく見ると、御清水の部分に小さく魚が描かれています。
この魚は「イトヨ」と呼ばれる淡水魚で、1976年に発行された自然保護シリーズでも取り上げられた国指定天然記念物。
発行時の初日指定局は、もちろん大野局でした。

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イトヨは、御清水から900メートルほど離れた本願清水で見ることができます。
背中に3本のトゲがあるのが特徴で、トゲウオ科と言うそうです。


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鉄道開業の図 [日本切手]

画像は、1972年10月14日発行の「鉄道100年」2種セットの中から「鉄道開業の図」。
日本で初めての鉄道が、新橋〜横浜間に正式開業した1872年10月14日から、100年が経ったのを記念しての発行であることは、皆さんもよくご存知だと思います。

それに先立つ6月12日から、品川〜横浜間で仮開業していたのを受けて「正式開業」としています。

この記念切手は、三代広重が描いた錦絵を題材としており、主題として描かれているのは開業記念列車。
これには明治天皇や皇族をはじめ、明治政府の重鎮や各国の公使等が9両編成の車両に乗り込んでいます。

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実は、先ほどから正式開業日は10月14日と記していますが、本当の開業予定日は10月11日だったのです。
ところが、当日は暴風雨となってしまったために、あえなく延期。
そして、10月14日が開業日となってしまったわけです。

下の古写真を見てください。
一目で、切手と同じ新橋駅であることがわかると思います。
そして、重要なのは赤丸の中。
なんと、なんと屋根が壊れて捲り上がっていますね。
軒下の飾り旗が勢いよくはためいているので、撮影した時も強風だったことがわかります。

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これほどまでの暴風雨だったのですから、延期も頷けます。
ところで、錦絵の「開業の図」の方では、綺麗サッパリとした駅になっているので、当たり前ですが突貫工事で復旧したのでしょう。

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「秀山堂の塔30銭について」 [文献]

昨年12月15日の日記で、『呉ポスト』誌が終刊を迎えたことを紹介しました。
『呉ポスト』の長い歴史の中には重要な解説が多く掲載されていますが、昭和43年12月号〜45年1月号まで13回に渡って連載された、松原敦氏による「秀山堂の塔30銭について」もその一つだと思います。

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氏は、この連載で秀山堂切手のリコンストラクションを示しているのですが、恐らくこうした試みは本連載が初めてのものではないでしょうか。
N版とS版にわけて示されていますが、2版あるN版の区別はされておらず、そこに示されたのは今で言うところの1版のもの。
この1版のポジション7は「ダブルベル」なのですが、氏の解説には「ダブルベル」の言葉が出てこないので、まだこの愛称が使われていなかったのでしょうね。

「ダブルベル」って愛称は、いつから使われているのでしょう?
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秀山堂30銭切手(2) [日本切手]

昨日に引き続いて、秀山堂30銭切手です。

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今日ご紹介する画像も、昨日と同じく「ダブルベル」と呼ばれている変種を持つ切手。
画像の左上の軒下に点が2つ有りますね。

ですが、よく見ると昨日の「ダブルベル」切手とは違いますね。
右側の飾り枠が、昨日の切手は完全に壊れていましたが、今日のは断線しているだけ。

下辺の飾り枠を見ると、額面数字側の破損が昨日はありませんでしたが、今日のタイプにはあります。
また、右端の破損も異なるのが見比べるとわかります。

昨日の版はS版でしたが、今日のタイプはN版に見られるものです。
N版は更に1版と2版に分かれるのですが、今日ご紹介した特徴を持つ「ダブルベル」は2版のポジション34のもの。

N1版のばあいはポジション7に「ダブルベル」があるのですが、残念ながらこちらは未入手。
「ダブルベル」で3種が揃えられるといいのですが・・・。
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秀山堂30銭切手 [日本切手]

下の画像は、秀山堂30銭切手。
まぁ、見ればわかりますよね。
僕の好きな切手の一種でもあります。

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秀山堂切手のシートは、10×5枚構成の50面シートで「昭和切手シート写真集」などで見られるので、ご存知だと思います。

画像は「ダブルベル」と呼ばれる、昔から有名な版欠点を有する切手。
左の赤丸内の軒下に2つの点があるので、この名前が付いています。
このダブルベルという変種、名前だけが独り歩きをしているおかげで、「ダブルベル」と言えば一種しかないと思われている方が多いですね。

上の画像の切手は「ダブルベル」意外にも、赤丸で囲った右辺と下辺に版欠点があります。
実は、この後者の2つの変種がキーポイントになるのです。
画像の切手は、S版のポジション42になります。

続きは次回に。
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米国・1922年シリーズ赤2セント [外国切手]

米国の1922年シリーズ、中でも赤の2セントの本格的な解説記事を読んだのは、『郵趣』1976年6・7・9月号に連載された、「1922年シリーズ2セント切手」という魚木五夫氏による記事でした。

それ以前に『スタンプクラブ』で米国切手の啓蒙記事を読み、多少なりとも興味を持ってパケットや貼込帳を漁っていた子供にとって、この記事はタイムリーかつ刺激的な内容で、熟読したものです。

中でもタイプ2の解説の後に「珍品のタイプ2を(中略)手あかに汚れた貼込帳の中から20円で買うことができたのです。これは、郵趣会館地下の切手センターでの話です。」
という一文が有り、子供心に「自分にもチャンスが・・・」などと、アホなことを思ったものです。
当たり前ですが、そのような奇跡が起こることはなく、後年、タイプ2の切手として、まともに買うことになりました。

比較のために、普通の切手とあわせて下に紹介します。
こちらは普通のタイプ1。

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それで、こっちがタイプ2です。

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区別の仕方は、超有名なので多くの皆さんがご存知だと思いますが、一応、下の画像でご確認下さい。
これ以外にも特徴があるのですが、消印が掛かっていたりして見難いので、一番わかりやすいというか、一番ポピュラーな部分を拡大しておきます。
リタッチによる、髪の毛の太さに注目です。

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今から思えば、そんなに特別な切手というものでは無いのですが、子供にとっては特別な切手だったのですね。
今では何枚も所有しているのですが、1枚目を入手した時は、なんだか自分が一人前に思えたものです。

皆さんにも、きっとそのような切手があるのではないでしょうか。
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2019年は・・・ [雑記]

新年、おめでとうございます。

昨日は、ちょっと過去のことなどを振り返ったりしたのですが、今日は今年のことをちょっとばかり。

今年は、4月から生活がガラリと言うか、ひっくり返るほどの激変になるので、落ち着くまでの間は郵趣活動が停滞するかも知れません。
ですが、落ち着いてしまえば、逆に郵趣活動に割ける時間が増えるのではないかと、皮算用の真っ最中。

ネパールのセカンドシリーズが、それなりに補強されてきたので、一昨年のJAPEX出品作品をベースに大幅に作り直したものを全日展にと思ってはいるのですが、上記との関係で流動的。
とは書いたものの、この文を書きながら具体的なスケジュールを考えると、やっぱり全日展は無謀かも。
一年先延ばしかなぁ・・・。

あとは、購読雑誌への投稿。
特に●●研究会的なところは、慢性的に原稿不足なところが多いので、短文でも、マテリアル紹介でも、何らかの記事で協力していきたいと思っています。
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