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乃木2銭の標語印 [日本郵便史]

紅い切手は、目立っていいですね。
紅い切手だけでアルバムを何ページも埋めていると、迫力があっていいものです。
中でも、新小判2銭と乃木2銭がその双璧。
ついでに、押されている消印も見やすく目立ちます。

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画像の切手は、乃木2銭に「宛所は/詳しく/判りよく」の標語入り機械印。
ごく普通のものですから、珍しくもなんともありません。
ただ、この大きさの標語部だと、うまく押されると画像のように綺麗にスッポリと収まりますから、気持ちがいいもんです。
これで、可能な限り標語印を集めてリーフに整理すると見栄えがしていいと思いますね。

二十数年も前になりますが、1000枚近くの乃木2銭の未整理の束を分類したことがありました。
もちろん、使える消印の大部分が櫛形印であることは当たり前ですが、次いで多いのがこの標語部。ただし、画像のようなフルストライクとなると標語部20枚に1枚程度でしょうか。

それよりも少ないのは日付部!!
感覚的に言うと、今の日付部のカタログ値は安いですね。
櫛形印や標語部の値段があの程度ならば、比較論の中ではもっと高くてもいいと思います。

無理をしないで、気長に集めると標語部は何種類ぐらいまでは入手できるでしょうか?
遊びとしては面白いと思います。
たぶん50種揃えば大威張りできるでしょう。
そのうち、リーフにズラリと並んだところをお見せできるといいですが。
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ドイツ・アドラー号とニュルンベルグ [外国切手]

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画像は、ドイツが1935年7月10日に発行した「鉄道開通100年記念」4種セットの中からの1枚で、ドイツ最初の蒸気機関車であるアドラー号を描いたもの。

図案が消印にかかってしまって見にくくて申し訳ないのですが、大きくスキャンしたので、なんとか見えると思います。

ドイツの鉄道第1号は、ニュルンベルグとフュルトを結ぶ 6.5km でした。
通常、初期の鉄道建設は旅客輸送よりも貨物輸送に力点が置かれて建設されるのですが、ドイツの場合は珍しく、最初から旅客輸送をメインとして作られました。
ニュルンベルグは古い町ですが、市内に住める人は限られた人たちで、労働者や外国人は市内に住むことができませんでした。ですから当然ながら朝になると皆さん市内に向けて通勤するわけで、その混雑が19世紀前半には問題となっていたわけです。
そこで、目をつけたのが鉄道。
鉄道で市内への通勤輸送を行なうという発想で、今で言う通勤電車ですね。

ドイツ鉄道の発祥地であるニュルンベルグには、鉄道博物館があります。
残念ながらアドラー号の実物は残っていませんが、そこでは模型と復元品を見ることができます。

また、この鉄道博物館には、郵趣家ならば絶対に見逃せないコレクションとして鉄道郵便のコレクションがあります。
1983年に訪れた時には、常設展としてそこそこの展示でしたが、1999年のイブラ国際展(ニュルンベルグで開催)の時には、リーフに整理された膨大な鉄道郵便のコレクションを見ることができました。
その時に館に聞いたところ、それらは鉄道郵便印や鉄道郵便史の収集家数人からの寄贈品だそうです。
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『スタンプニュース』休刊号 [文献]

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昭和40〜50年代に収集されていた方なら、『スタンプニュース』はある程度馴染みの郵趣雑誌だったのではないでしょうか?
A5判10ページで、切手商組合加盟店ではサービスで無料で配っていたものです。

僕も、地元にある馴染みの切手商で子供の頃から毎月もらっていました。
後に郵趣サービス社の『ふいぶる』が刊行されるようになると、毎月2誌がタダでもらえたわけですね。

内容は、軽い読み物が数本と、内外の新切手からちょっとした話題を解説した記事が主体で、『郵趣』や『スタンプクラブ』などよりは柔らかいものでした。
その所為かも知れませんし、タダのものは大切にしない方が多いのかもしれませんが、丁寧に毎月保存された方は少なかったようで、僕の知人には揃えて保管している人はいないようです。
大部分が捨てられてしまったのでしょう。

画像は『スタンプニュース』の最終号で、昭和60年6月の258号です。
取り敢えず休刊という形で、最終ページに小さく載っているのですが、事実上今号で廃刊になってしまいました。
最終号の連載は大谷博「切手あれこれリポート」(22)、魚木五夫「アメリカ切手とその収集」(35)、山崎好是「切手に生きる」(67)でした。
魚木、山崎両氏の連載は、刊行が続いていたら更に回数が伸びていたと思われますので、途中で打切りは残念なもの。

正確には覚えていないのですが、僕がもらいだしたのは100号前後位からだと思います。
後にお店に残っていた56号以降をもらって揃えたのですが、55号以前が手元にありません。
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リヒテンシュタイン・1920年 [外国切手]

リヒテンシュタインと言うと、僕らの世代ではヨーロッパ諸国の中ではモナコと並んで、国家財政を切手でカバーしている国なんて教えられた記憶があります
たしか、1970年代では国家財政の10パーセント程度が、切手による収入だったと思います。

そんな国でしたが、発行する切手は渋くて玄人好みするものが多く、子供心にもモナコのように悪い印象は持っていませんでした。

リヒテンシュタインの郵便事業は、最初はオーストリア郵政が取り仕切っていたので、切手もオーストリア切手にそっくりなヨハン2世や紋章を描いたのものでしたが、第一次世界大戦後の一時期は自前の郵政で独自切手を発行していました。
しかし、せっかく独自路線を歩みだしたものの1921年にはスイス郵政の管理となっています。

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上の画像は、その短期間のリヒテンシュタイン郵政が1920年に発行した通常切手。
無目打と目打有の2種が発行されています。
中央の楕円形内に描かれる図案は、紋章と建造物に分けられ、更に建造物図案は額面により違うものが採用されています。
画像の1kは12世紀頃に作られたファンドゥーツ城で、現在もリヒテンシュタイン家が居住しているそうです。
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産業図案・捕鯨3円 [日本切手]

昭和24年5月20日に発行された産業図案切手の捕鯨3円。
戦後の切手と言いながらも、68年も前の切手です。

この切手、昭和24年5月1日から第3種便が3円に値上げされたのと、新たに設けられた通信教育料金に対応する切手として発行されたのは、皆さんもご存知だと思います。
ところが、使用例として実際に集めるとなると圧倒的に混貼使用例が多くて、難しい切手ですね。

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この画像は第3種の帯封ですが、僕にはこれが限界といったところで、通信教育には全く手が出ません。
1額面1リーフを目指している身には、これで十分だと思っています。
これでも、よく入手できたものと思っているくらいで、10年近く前に地元で行われた「郵趣の集い」の即売で手に入れたもの。
この程度のものでも、好きな時にいつでも入手できるものではありません。
データは、福井局で昭和24年10月18日。
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手彫封皮1銭「イ」 [日本ステーショナリー]

手彫封皮のまとまった解説と言えば、古くは1969年から "Japanese Philately " に連載された Evans 氏ものや、1977年から『フィラテリスト』に連載された伊藤典昭氏のものがあります。
そして、近年では上記2氏の内容を受け継いだ形で、石川勝己氏が『郵趣研究』にまとめられており、多くの方がこれを読まれていると思います。

手元には、未使用ステーショナリーのカタログコレクション的なものがあるのですが、その中には何枚かの手彫封皮が含まれています。
1銭のカナ揃いに、はまだまだ遠い状況ですが・・・。

そんな1枚に下の画像のものがあります。

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この封皮の表記には「郵便切手」と「郵便封皮」の2種類があるのですが、画像のものは「郵便切手」の方で、カナは「イ」ですね。

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「郵便切手」表記の「イ」の原版数は4面なので、版の確定に手間取ることはありません。
上の封皮のばあい、下の画像に示すように左上の桜の外側に小点があります。

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それと、もう一点の特徴は左下の桜の右下の葉が額面枠に接続しています。
この2点の特徴を持つのは4版なわけです。

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お手元の手彫封皮。
版別は、きちんとされていますでしょうか?
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『郵趣仙台』第224号 [文献]

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数日ぶりに帰宅したら、『郵趣仙台』224号が届いていました。
いつも、ありがとうございます。

一目見て「オッ!」と思ったのが、タイトルの左側にあるカット。
龍100文に仙台の不統一印。
そしてページを捲ると、ありました。「宮城県の不統一印 仙のエンタイア」。
詳しくは、タカハシ・スタンプさんの「日本切手ノート」33回をご覧ください。下にURLを貼り付けておきます。

http://www.takahashistamp.com/note33.htm

それにしても、こんなことってあるんですね。
カバーからの脱落切手を2枚も市場で見つけるなんて!
そう言えば以前に谷喬先生が「八戸カバーの脱落切手、最後の1枚もきっとどこかにあるはず」とおっしゃっていました。
脱落切手が有ると無いとでは、そのカバーの郵趣的・評価的な価値が全く違いますからねぇ。
執念で元のカバーの姿に戻されたとは、全く脱帽です。

その他、レギュラーの連載で僕が気に入っているローラー印も鉄郵印も好調です。
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大学時代の先生 [雑記]

暇に任せて郵趣雑誌を見直していると、それまでは見落としていた記事に気がつくことがよくあります。
先日、JPS中国切手部会報の『中国集郵』を数年ぶりに見返していたら、1976年4月発行の6号に「中国郵便事情の一面」として吉田寅氏が書かれているのが目に止まりました。
下の画像がそれです。

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内容は、中国出張時に垣間見た当時の中国郵趣事情、特に「郵票出口公司」(日本の郵趣窓口に相当)や、日本への郵便送達についての経験を中心にまとめた紀行文です。
内容はともかく、執筆者の吉田寅氏は僕が大学生の時に授業を取った先生なのです。
僕は文学部史学科考古学専攻だったのですが、吉田先生は同じ史学科の東洋史専攻の教員でした。
考古学専攻も、ある程度は他の専攻(日本史、西洋史、東洋史)の授業を取らなければいけなかったので、選んだのが「中国における宣教師活動」をテーマとした先生の講義でした。

大学には、切手収集をされている先生が図書館や文学部地理学科、経済学部におられたので、よく訪ねては郵趣談義をしていたのですが、吉田先生はノーマークというか、まさか郵趣家だったとは・・・。
しかも、最も身近な史学科だったのに・・・。
先生は、確か4年生の時に前任者の急逝に伴う新任として来られた記憶があるので、馴染みが薄かったというのがあったのでしょう。

今回の発見は、残念かつ意外なものでした。
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タイプ・サージュ [外国切手]

フランス切手というと、ナポレオンとセレスの時代が長かったですね。
途中、目打が付いたり省略されたり、頭に月桂冠が付いたり付かなかったり。多少のバラエティはありましたが、基本的に同じ時代が続きました。

それが1876年になると、今までとは全く違う切手が発行されました。
タイプ・サージュです。

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この切手が発行されるようになった経緯ですが、1875年の国会の委員会で某議員が、新しい図案の切手発行を提案したことに始まるそうです。

もし、この提案がなかったら、19世紀一杯はセレス図案が続いていたかもしれませんね。

ところで上の画像の切手ですが、僕が初めて買ったタイプ・サージュの未使用切手なんです。
中学生の頃は、フランスのパケットを買うと必ず何枚かはサージュが入っていて、その頃からなんとなく「いい切手だな」と興味を持っていました。
そこで綺麗な未使用を1枚ということで買ったのが、画像のもの。
サージュで一番好きな色の切手です。

サージュはご存知の通りタイプ1と2がありますが、画像の切手はタイプ2の方です。
なぜ2種のタイプが出現したのかと言うと、最初の原版(第1原版)が作成段階で破損を起こしてしまったので、急遽、新しい原版を作り直したのです。これが第2原版です。
ここでややっこしいのが、第1原版がタイプ1で、第2原版がタイプ2であると思うのが普通なのですが、サージュではそれが逆なんですね。
つまり、第1原版・・・タイプ2、第2原版・・・タイプ1となるのです。

フランス切手に興味がある人でも、タイプ1と2の分類(これは易しい)は出来ても、意外とその由来について間違えて覚えて人が多いのです。
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土器はがき [日本ステーショナリー]

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10円土器はがき。
7円飛天とともに、もっとも馴染みのあるはがきです。

上の画像は、そんな土器はがきの往復用で、これだけ見たら普通にどこにでもあるものに見えます。
それで下の画像を見てほしいのですが、これを見ると普通じゃないのがわかると思います。

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そうです。
黒丸の中をよく見ると、朱色のヒゲが見えますね。
この朱色、郵便番号枠と同じ色をしてます。

最近は老眼でこの手のものを見るのが辛いのですが、これを見つけた30年ほど前はなんの苦労もなくパッと見で見つけることができました。

皆さんのお手元にある10円土器往復はがき。
このヒゲがありますでしょうか?
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イギリス・飢餓救済 [外国切手]

画像は、イギリスが1963年に発行した「飢餓救済」2種セットの中からの1枚。

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グラビア印刷されたイギリスの記念切手には、多くの版欠点が知られており、その極一部が『ギボンズ』専門版にリストされています。
手元にあるこの4枚ストリップにも、欠点らしいのがあります。
ただし、カタログには載っていませんが・・・。

その拡大図が下のもので、上から2枚目の切手の右側にある文字列のうち " A " の中に点が付いています。

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けっこうハッキリと目立つものですね。
手持ちの他の切手には、実用版の引っかきキズのような線とか、腐食が甘かったのか白い斑点状のシミなどが見られるものがあります。
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ノルウェー・ポストホルン切手100年 [外国切手]

世界長寿ナンバーワン切手といえば、ノルウェーのポストホルン切手ですね。
7〜8年くらい前のJAPEXに大きなコレクションが出品されていたので、ご覧になった方も多いと思います。

下の画像の切手は、そのポストホルン切手発行100年を記念して1972年に発行されたものです。

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この切手が発行された100年目でもまだ発行が継続されていただけではなく、21世紀に入っても使用されていたのですから、前人未到の記録と言えますね。
おそらく、この記録を破るシリーズは、今後、出て来ないのではないでしょうか。

そこで、前から思っているだけで全く実行できていないのですが、このポストホルンシリーズを使用済単片で分類可能な限りカタログコレクション的に集めると、いったい何種類ぐらいになるのかということ。
そして合わせてカバーを収集していくと、それなりのコレクションとしていい形になると思うのです。
挑戦のし甲斐があると思うのですがねぇ。
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日清戦争の野戦郵便局 [日本郵便史]

軍事郵便、特に日本が絡んでいるものは、どうも好きになれません。
例えば、外国切手の野戦局使用例は全く違和感なくというか、使用例のバラエティとしてむしろ好きな方なのですが、これが日本物となるとサッパリ。
特に軍事郵便史となると、なおさらのこと。

でも、単純にハンコ集めとなると別ですね。
下の画像は、日清戦争に伴う野戦郵便局印で有名な威海衛局のものです。
データは明治29年6月8日。

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この局は29年が朱印で、30・31年になると黒印になってしまいます。
画像のものは、朱印が映えて美しいですね。

実は、日本軍に威海衛は2回占領されており、この印は2回目の時のものなのです。
1回目の占領は28年2月ですが、その時は同じ月内に撤退しています。
そして、2回目の占領は同年11月で、この時は清国からの賠償金取り立てのための占領で、上の消印はこの時のものです。
清国は31年5月7日に賠償金の支払いを終えたので、同月にこの野戦郵便局も閉鎖されています。
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桜和紙黄色2銭のブロック [日本切手]

古いオークション誌を見ていると、「あっ!こんなのが」と思うことがあります。
下の画像も、押入れから引っ張り出してきたオークション誌で見つけたもの。

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桜和紙黄色2銭カナなしの8枚ブロック。
1974年10月26日開催の、金井108回パブリック掲載のものです。

ご存知の通り、この切手のブロックは希少で、しかも横8枚は形がいいですよね。
リーフに貼っても収まりがいいですし、誰が見ても魅力的なマテリアルに間違いありません。
しかも、状態もバツグンにいい。

参考値(最低値ではないですよ)は、60万円。
それで、結果はというと230万円だったそうです。
この落札値。当時はビックリするほどの高値だったと思います。
無シート版だとすると、今だったらどう評価されるのでしょうか。
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ブルネイ・水上住居 [外国切手]

画像は、ブルネイが1931年に発行した通常切手。

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描かれているのは、ブルネイ名所(?)の水上住居ですが、すごいですね。
カンポン・アイールと呼ぶそうですが、首都を流れるブルネイ川にあるそうで、その数、約四千数百軒で42の村があるとか。

我々の感覚からすると、一見スラム街のように見えますが、そんなものではなく今では電気に水道完備でインターネットや衛星放送も見れるそうです。

上の切手の住居部分を拡大してみたのが下です。

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それにしても、やっぱりここに住むのは凄いとしか言いようがありません。
現在の状況を見ても、意外と細いんですよ。柱が。
もし、柱が折れちゃったら家財道具一式、全財産がおしゃかです。
それに湿気も凄そう・・・。

ここの住人が趣味として切手収集を楽しむのは、不可能でしょうねぇ。
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中央リトアニア・種まき [外国切手]

皆さんは、中央リトアニアという国をを聞いたことがあるでしょうか?
もし知っていたら、あなたはかなりのマイナー・カントリー通。
この国は短期間に数奇な運命をたどった国ですから、興味がありましたらウィキペディアでも見てください。

画像の切手は、その中央リトアニアが1921年発行に発行したものなのですが、なんとなくどこかで見たような・・・。

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そうです。
種まき図案なんですね。
種まきと言えば、フランスの代表的な切手図案で、日本でも歴代何人もの方が大きな専門コレクションを作られています。

それに対して、中央リトアニアの種まき。
たぶん、「こんな切手を見るのは初めて」という方が大部分だと思います。
いかにもお手製の素朴な感じがして、完成度が高いフランスの種まきとは違った味があると思います。

この切手は目打有りと無目打があるのですが、画像は無目打のもの。
ここの国の切手は、どれも使用済の方が高いのです。
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『村田さんと千住の郵便』 [文献]

村田守保氏と言えば、山本謹一氏や市田左右一氏と並んで、日本切手収集家のビッグネームとして、没後30年以上経ちますが人々の記憶にいまだ鮮明に残っています。

その村田氏が亡くなった時に追悼集として、タカハシ・スタンプが制作・配布したのが本書です。

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内容は前半が村田コレクションからのリーフの抜粋で、後半が親交のあった方々からの追悼文。
そして、最後に「明治における千住の郵便役所」と題する論考を、浅見啓明氏が書かれています。千住は村田氏の地元で、氏が千住の郵便史を追求されていたことに因んだものです。

実は、前半に収録された村田コレクションのリーフ紹介も、村田氏が「千住の郵便」と題して作られていたもの。
『日本切手精集』は、先にも記したように膨大な村田コレクションの中から再構成したものなので、村田氏の生のリーフが紹介されているわけではありません。
対して、本書で紹介されているリーフは村田氏が作られた生のリーフなので、氏のリーフの具体的な内容を知ることができるものです。
その意味で、本書は貴重な記録と言えます。
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パリ市内局 [外国郵便史]

画像は、タイプ・サージュに押されたパリ支局印で、1884年から使用が始まった Cachetsa A というタイプのもの。

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上部に " PARIS" と支局番号。下部には支局名。
上の画像のものは、支局番号が51で、局名が "R. LAFAYETTE" になります。

パリの支局数は、抹消印が描星型番号入り印から CACHETS 18 タイプ に変わった1876年には39局でしたが、25年後の1900年初頭には107局にまで増加しています。
この間に支局番号の付け替えが行われているので、下部の支局名が読めない時は、使用年と支局番号のクロスチェックが必要になります。

このような支局の増加は、都市への流入人口が増大し、パリ市内が拡大したことを示しています。
画家が集まることで有名なモンマルトルも、この頃にパリ市内になっています。

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旧大正毛紙10銭の枠線 [日本切手]

このブログで、田沢切手を取り上げることは少ないですね。
理由は簡単で、「僕が田沢切手に魅力を感じていないから」というわけです。
魅力を感じない=ろくなマテイアルを持っていない。ということになります。
だから、紹介するものもないわけですが、そんな貧しいマテリアルの中から、たまには田沢切手のご紹介です。

下の画像は、旧大正毛紙10銭の第四コーナー切手で、中子持罫がまずまずと言ったところでしょうか。

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この枠線、以前から気にはなっていたのですが、縦と横で異なります。
一般的な中子持罫は、印面から外方向に向かって「太ー細ー太」と並び、本マテリアルの縦の枠線がこれにあたります。
ところが横の枠線は「中太ー中太ー太」になっています。
つまり、異なる枠線の組み合わせになるわけで、枠線は縦も横も同じ組み合わせだと思い込んでいた自分にとって、衝撃的な出会いでした。
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島根・川本局 [風景印]

木曜日から土曜日まで、所用で奥出雲に行って来ました。

経路は、福井〜新大阪〜福山〜三次〜江津〜松江〜備後落合〜新見〜岡山〜新大阪〜福井です。
途中、JRのトラブルに巻き込まれて、全く予想もしなかった(立ち寄るつもりがなかった)石見川本駅で2時間の空き時間が・・・。

ともかく昼飯ということで、駅前の寿司屋で穴子飯を食いながら、ふと見ると鮎の看板。
そこで、鮎の塩焼きを追加注文。
前日から鮎が解禁ということで、大きさ、姿ともに申し分ない鮎が出て来ました。
もちろん、頭から丸ごと食べられます。
こんなに美味い鮎は何年ぶりか?という美味さ。最高の鮎でした。

腹がいっぱいになっても、時間はまだ1時間もあります。
ネットで郵便局を探すと、ありました、ありました。川本郵便局が。
風景印も配備されているようです。

「こんなことなら、押印台紙を持ってくれば良かったなー」と。
今回は、時間的にも郵便局は諦めていたので、持ってこなかったのです。
でも、目の前には風景印が・・・。
こんな所は、もう来ないかもしれないし。
ということで、仕方がないので官製葉書を買って、それに押印です。

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押された風景印をジッと見ると、なんと図案にさっき食べた鮎があるではないですか。
川本は鮎が名産なんですね。
それと、江川太鼓が大きく描かれています。

アクシデントのおかげで、よい風景印が押せました。
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セント・ビンセント1シリング [外国切手]

画像は、セント・ビンセント1877年発行の1シリング。

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目打は11(〜12.5)×14(〜15)です。
見ての通り縦目打が潰れて見えますが、これはセント・ビンセントとかグレナダの切手でラフ目打と呼ばれているもので、これが当たり前の状態です。
このラフ目打はC目打と名付けられており、1872年6月にパーキンス・ベーコン社で初期から使われていた古い目打機(A目打機)をオーバーホールして作り変えられた際に、細かな目打針を植えられたものです。

この切手、例えばフランスとかイギリスの切手と比べると状態が悪そうに見えますが、セント・ビンセントの切手の基準では、フルマージンの良い状態に入ります。

押されている消印はフラフラで見れたものではありませんが、英仏郵便交換条約時代の「GB/40c」印です。
ただし、英仏郵便交換時代の使用例ではなく、1877年のUPU加盟後に普通の消印として、切手の抹消に流用されたものです。

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