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黒ポスト [日本郵便史]

調べものがあったので、福井の明治時代の街中が写った絵葉書を見ていたら、こんなのを見つけました。

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写っている場所は片町の通りで、今では飲屋街になってしまっています。
写真は、たぶん明治20〜30年頃ではないでしょうか。
その写真の片隅に郵便ポストを発見!
というわけで、赤枠で囲ったのが黒ポスト。

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ポストの部分を拡大すると、交差点の所にポストがあるようですが、よく見ると今なら道路際に立てるポストが、意外と道路の中に食い込んでいます。
特に右端の家との距離を見ると、その状況がわかりますね。
ポストを据える土台も、随分と立派で頑丈そうです。

今度、明治時代の市内図を見ながら、ポストの場所を特定しましょう。
わかったら、またブログでご報告。
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『英国切手研究会報』219号 [文献]

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『英国切手研究会報』219号が到着しました。
今号の大きな記事は、安藤裕氏の「One Penny Red, Officially Perforated」。
目打付きペニー・レッドのコレクションの解説が主題ではあるのですが、解説文の最初にある「1. 蒐集の基本 網羅的に集める」の部分は、熟読するべき内容。

論点はいたってシンプルで、要は広い視野に立ったコレクション作りを行い、それらを踏まえた上で専門コレクションを作ろうよ。というもの。
これは、別に目新しいことではなく、古くから言われていることですね。

本来、専門(切手収集以外でも)というのは、広い範囲のことを理解して知ってはいるけれども、その中でも特に狭い分野に関しては特化して掘り下げたものであるはず。

今の収集界に警鐘を鳴らす一文として、響くものでした。
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『風景印かながわ探訪』 [文献]

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風景印と言えば、この人!
古沢保氏の新刊です。
毎回のことながら、この人の文章は読みやすいので、2日間で読み切りました。

『神奈川新聞』に連載された記事に、加筆補正を加えて一書にまとめたもので、神奈川県内の風景印88個を題材に、その図案について紀行文として紹介したもの。
僕は神奈川生まれの神奈川育ちなのですが、その多くが知らない事で正に驚きの連続!

それと同時に、川崎の梨など今となっては懐かしいことも紹介されており、妙に子供の頃が懐かしく感じるページも。

ちょっと注文をつけさせてもらうと、肝心の風景印の大きさが小さすぎること。
細かい図案だと、なんだかわからないものもあります。

それにしても、風景印って楽しいですね。



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信州へ [風景印]

昨日、今日と信州へ行って来ました。
昨日は仕事が終わってからの移動だったのですが、新幹線のお陰で早くも18時半には長野で馬刺しや鴨を肴に、信州の美味しいお酒を冷やで堪能できました。
そして、締めは新そばの大もり!
美味しかったなぁー。

そして、今日のお昼は鰻。
善光寺の裏の方にあるお店なのですが、鰻専門店だけに道路に溢れ出る煙の匂いだけでも、食が進みそうなくらいです。
肝心の鰻も身が厚くて、こんなの食べれて幸せな1日でしたね。

と、言うことで「お前は何しに行ったんだ?」となりそうですが、取り敢えずは今日の午前中にあった長野郵趣会への参加です。
まぁ、長野郵趣会さんにはこれまでも度々お世話にはなっているのですが、実態は毎回信州グルメ紀行とでも言いましょうか。
でもね、美味しいものを食べながら、郵趣談義ができるというのは最高の贅沢ではあります。

肝心の例会の方では、尾道、多度津、高松、根室ボタ印などを回覧しながら、15分ほど話させていただきました。
地方在住で切手展を参観されない方々は、たぶん初めて見るものだったと思います。

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上の画像は、お土産でいただいた戦前の風景印からの1枚です。
アルプス連峰と国宝の松本城、そして登山者を描いた松本局のもの。

今回、戦前の長野県の素晴らしい風景印のコレクションを見せていただいたのですが、改めて戦前の風景印の素晴らしさを再確認したしだいです。
ご当地ものの消印を集めている方は多いですが、風景印まで揃えられている方は少ないのでは?
良いものを見せていただきました。

さて、次はいつ行こうかな?
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秀山堂の使用例 [日本郵便史]

画像は、塔30銭のアルバムから、秀山堂の使用例。
リーフ上では2通が貼られているのですが、画像は基本料金としての使用例です。

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データは、東京の赤坂局22年1月14日の消印で、宮城県の岩沼町に送られています。

このような普通の使用例は、リーフに書き込むことが余り無いのですが、秀山堂切手のばあいは版やポジションの特定が可能なので、そうした情報を書き込むことで、その切手への知識度をさりげなくアピールすることができます。

画像のリーフでも、消印データの下にN1版のポジション6であることを記しています。
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『逓信事業周知機械印 オークションメモ(29年)』ほか [文献]

逓信事業周知機械印を精力的に収集されている高岡市の林氏から、『逓信事業周知機械印 オークションメモ(29年)』と『逓信事業周知機械印の記録 平成29年追録』をご恵贈いただきました。

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林氏は、これまでも逓信事業周知機械印について何冊かを作られていますが、今年はオークションメモも合わせて作られています。
実は、これが面白い!
僕は、逓信事業周知機械印を収集対象としていないので、オークションの結果については無頓着で気にしていないのですが、こうして集成された結果を見ると、なかなか面白いもの。

失礼ながら「意外と人気があるんだな〜」って感じで、認識を新たにしました。
最低値の3倍、4倍の落札値も多く見られますし、中には6倍なんてのも!!

手元には氏が作られた1冊目から揃っていますが、資料として有益なものとして重宝しています。
今年も、ありがとうございました。

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西ドイツ・童話シリーズ [外国切手]

小学生の時に読んだ大谷博さんの『切手集め大作戦』は、子供向け解説書の大傑作であると今でも思っています。
その中に紹介されていて妙に印象に残ったのが、西ドイツで発行されていた慈善切手の「童話シリーズ」。
おそらく、後年発行された日本の「昔話シリーズ」は、この「童話シリーズ」が参考になっていたのではないでしょうか?

「童話シリーズ」の最初は1959年の「星の銀貨」で、これ以後、1967年発行の「ホレのおばさん」まで、9集で36枚の大きなシリーズになっています。

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画像は1963年の「狼と七匹の子山羊」。
このように低額面から高額面へと、物語が進み、4枚でそのあらすじを紹介する構成なのですが、一番最初の「星の銀貨」だけは、3枚で物語を語り、一番高額面ではグリム兄弟の横顔を図案として、グリム兄弟を紹介する構成となっています。
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スウェーデン・郵便開始300年 [外国切手]

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画像は、スウェーデンが1920年7月28日に発行した「郵便開始300年記念」切手で、描かれているのはグスタフ2世。
この切手は、スウェーデンが発行した最初の記念切手です。

スウェーデンはグスタフ2世の時に一大強国となり、ドイツにまで攻め入りました。
この時(1620年)に、本国との通信確保のために軍事郵便制度を作ったので、それから300年が経ったことを記念して発行されたものです。

スウェーデンでスティクニー印刷と言えば、いわゆるライオン図案の通常切手が有名ですが、この切手もスティクニー印刷の初期の製品です。
と言うことで、当然ながら紙のバラエティが大別3種、細別で5種あり、中には入手が極めて難しいものもあります。

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『ツームシュタイン』ヨーロッパ版 [文献]

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発売されなくなって随分と経つ『ツームシュタイン』ヨーロッパ版。
日本ではあまり普及しませんでしたが、以前はヨーロッパの切手商ではそれなりに使われていて、スタンダードなカタログの1つに位置付けられていたと思います。

僕が当初使い始めた頃は1冊ものでしたが、途中で西版と東版の2分冊になり、その後は更に分冊が進みました。
画像は東ヨーロッパ版です。

同じヨーロッパのカタログでも『ギボンズ』や『イベール』とは違って、小型シートも含めて全ての切手を図版として掲載していました。
同じ方針には『ミッヘル』がありましたが、お値段的には『ミッヘル』よりもリーズナブルだったような記憶があります。

B5判という大きさ、そして段組も見やすくて良い感じのカタログだっただけに、新版が出ないのが寂しいですね。
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追放切手を剥がすと・・・ [日本ステーショナリー]

画像は、追放切手の剥ぎ取り使用例。
消印データは、福井県の北中山局で昭和22年11月23日。

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追放切手の取り扱いについては、幾つかの指令があるのですが、その1つに「便宜郵便局でその切手の一部を残し、大部分を剥ぎとって破棄し、郵便物には料金収納の旨を表示して送達すること」というのがあります。

画像の使用例はこの扱いをしたものと思われますが、剥ぎ取った後の料金収納印が押されていません。

そうした使用例はよくあるので「まぁ普通かな」と思う程度なのですが、僕が面白いと思ったのは、追放切手として剥ぎ取ったら、その下から、これまた追放切手である楠公葉書の印面が出て来てしまったこと。
なんとも気まずい使用例です。

それにしても、この葉書の料金ってどうなっているのでしょうか?
合いませんよねぇ。
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ネパール・プルーフ [外国切手]

久しぶりのネパール。
ネパールのトラディショナルも、当たり前ですが製造面を示すマテリアルが入手できると、全体的な厚みが増します。
僕も、これまでの作品にプルーフを幾つか入れてきましたが、まだまだ足りません。

画像はセカンド・シリーズから、1935年発行の24 Piceのプレート・プルーフです。

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実際に発行された切手とは、目打が無いことと、裏のりが無いことはもちろんですが、それに加えて用紙が異なります。
発行された用紙は、厚手の普通の切手用紙なのですが、プルーフでは薄い用紙が使われています。

この切手には、プレート・プルーフの他に、ダイ・プルーフが存在するのですが、こちらは現存数点のため、入手できないままという体たらくです。
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ルーマニア・カロル1世 [外国切手]

ルーマニアのクラシックと言えば、カロル1世を描いたもので、国内では古くは渡辺勝正氏のコレクションが有名でした。
初期のカロル1世の切手は石版印刷でしたが、切手の需要が高まったので、1872年には凸版印刷へと変更されています。
下の左の画像がそれですが、ルーマニアでは凸版印刷ができる設備が無かったので、最初はパリのフランス造幣局に製造を依頼しています。
いわゆるパリ印刷と呼ばれるものですね。

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その4年後の1876年からは自前で印刷を始め、先のパリ印刷に対して、これをブカレスト印刷と呼んで区別しています。
上の画像の右が、ブカレスト印刷のものです。

見比べると、パリ印刷とブカレスト印刷の差が歴然としているのが、お解りいただけるものと思います。
さすが、セレスやナポレオン切手で腕を磨いたフランス造幣局です。
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『戦後の官製葉書を集める』 [文献]

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『呉ポスト』誌が送られて来ると毎号楽しみだったのが、行徳国宏氏による連載の「戦後の官製葉書を集める」でした。
このほど、その連載が一書にまとめられ、今夏に刊行されたので、既にお読みの方も多数いらっしゃるものと思います。

行徳氏は戦後の郵便制度を中心軸に置いた収集を展開されており、これまでもオリジナリティに溢れた関連の著作を多数執筆されていることは、皆さんもよくご存知のはず。

今回は桜5銭葉書に始まり、麻布菩薩30円葉書までの使用例を多数の図版を示しながら解説をされ、新議事堂葉書までは「官製葉書使用済チャックリスト」まで掲載している念の入れようです。

本書は、「戦後の葉書なんてつまらない」なんて思われている人にオススメいたします。
戦後の葉書にホームランはありませんが、コツコツとバントやシングルヒットで点を取る面白さがあります。

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櫛形印24時間型 [日本郵便史]

馬に食わせるほどある櫛形印。
中でも、24時間型がその代表例だと思います。

下の画像は、その代表例ですが、どうせ見てもらうのならば一捻りあった方がいいと思って、これを選びました。
さて、その一捻りとは・・・。

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40年12月の日付を見れば、もうお分かりですね。

24時間型の使用開始は、昭和40年5月(告示は4月16日)。
取替えは、一斉変更ではなく活字の更新があった局から順次でした。
ということで、この順次更新が曲者なんですね。

皆さんのコレクションを点検して、昭和40年、41年でもいいですから24時間型を探してみてください。
なかなか無いでしょう?
昭和40年はおろか、41年でも大部分が戦後型だと思います。

それほど40年使用例は少なく、見つけるのに苦労します。
もし、昭和40年の24時間型をお持ちでしたら、大威張りで大切に!!

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琉球・第2次普通50銭 [日本切手]

『方寸会創立50周年記念誌』に所収されている、新井紀元氏「琉球第2次通常50銭切手」は久しぶりに興味を持って読んだ解説でした。

定常変種の分類から「印刷局製造」銘版の切手なのか、それとも「大蔵省印刷局製造」銘版の切手なのかを、単片切手でも分類を可能にしたものであるほか、よく言われる「砂目」「網目」分類に対しても疑問を提起するなど、貴重な解説と言えます。

そこで「僕の手元にあるのはどうだろう?」と思ってルーペを覗いてみました。
下の画像がその切手です。

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ルーペを覗くこと10秒ほど。
有りました。有りました。
解説図版とピタリ一致する特徴が。
その拡大図が下で、白丸内の点がその特徴です。

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この特徴を持つ切手は「印刷局」銘版の中の1枚だそうです。
シートから切り離されて1枚ポッキリになってしまった単片切手でも、その素性が確認できるとは、収集家にとって大変有難いことですね。
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『郵便船路・横浜四日市線』 [文献]

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昨年のJapexに「四日市汽船便(1871~1894)」というタイトルの作品が展示されていました。
その作品が面白かったので、幾つかの部分についてメモを作成したのですが、その作品をベースに作られたのが本書です。
僕にとってはタイムリーな企画で、一般に頒布されたのは有難いことでした。

僕も入手したマテリアルの逓送について、郵便史的に調べることがあるのですが、これは基礎資料を持っていないと中々難しいものなのです。
幸い鉄道便については、明治時代の時刻表の入手が容易なので苦労はしないのですが、航路となると途端に難しくなります。
各新聞を丁寧に見ていき、出帆公告を拾ってゆくのですが、ものすごい手間暇がかかります。

本書は、前半にカラーで作品を収録し、後半には横浜四日市線の配船表が収録されています。しかも1874〜1891年という長期間のもので、この配船表は本当に有難いもの。
この表の収録によって、本書の付加価値がド〜ンと跳ね上がったのは、間違いありません。
奥付を見ると、発行部数60部。
極端な言い方をすると、配船表を入手できたのが60人しかいないということになりますが、この数字はあまりに小さいと言えます。

資料的価値の高い文献を、ありがとうございました。
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10円染井吉野 [日本切手]

僕の世代だと、10円切手と言えば第3次ローマ字入りの鹿図案。
そして20円は、松です。
来る手紙、来る手紙が鹿と松ばかり(あの頃は、記念切手貼りの手紙はほとんど無かった)なので、今でもこの2種には、全く興味が湧きません。

その代わり、同じ10円でも子供の頃から好きだったのが、第2次円単位の10円染井吉野と第1次円単位の法隆寺壁画。
この2種は、10円鹿しか知らない子供にとって、未知の切手のように思えて新鮮味が感じられたもの。
特にこれらの切手が入った切手帳は、高級品にすら思えていました。

そんな、思い入れのある10円染井吉野なのですが、下の画像は、一見したところ何てことのない普通の使用済。
もし、下の画像を見て「ほほー」と思ってくれた方は、かなりの染井吉野ツウだと思います。

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これをご覧の、アナタはどうでしょう?
昭和36年6月28日の日付に注目。
この切手の発行日は昭和36年4月1日なのですが、通常切手なので、どの局でも当然それまでの10円法隆寺壁画図案を完売してからの発売になります。
そのような経緯があるので、6月使用でも探すのに骨が折れますし、36年中に広げても見つけるのには意外と苦労するものです。

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Japex [切手展]

今日はJapexの最終日でしたが、悲しいことに出勤日。
でも、2日間は参観できたし、多くの友人にも会えたので満足満足。

特に、初日の17時半からは「外国切手出品者の会」で美味しい天ぷらが食べながら、大人数でワイワイと過ごしました。
そして、その後の20時半からは別の集まり。こちらはバーを舞台に少人数で静かに濃い語りです。
というわけで、充実したナイト・ライフだったのですが、ふと「自分は切手展よりも、切手の話でお酒を飲む方が好きなのでは?」と思ったしだい。
要するに、切手を通して楽しいトークができれば、それでいいわけ。

で、肝心の切手展ですが、今年は充実の作品群!!
外国切手部門だけでも、新規出品者から大御所まで11作品が集りました。
こうしたのを見ると「来年は自分も出してみようかなー」なんて感じになって来ます。
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Japexの志垣コレクション [切手展]

今年のJapexの中に「北欧切手展」があります。
その展示の中に、巷では話題にはなっていませんが「スウェーデン周辺の船便」があります。
この作品は、8月にお亡くなりになってしまった志垣氏の作品で、この作品に接するのが、実は僕の隠れた楽しみの1つ。

志垣氏は北欧切手、特にスウェーデンの専門収集家として、全日展、Japex、国際展などに多くの作品を出品されてきたエキスパートですが、後に収集の中心をバルト海を中心とした船舶郵便史にシフトし、興味深い作品を作られました。
今回のタイトルは、氏のオリジナル作品とは異なるタイトルなので、今ひとつピンときませんが、楽しみな内容であることに変わりはありません。

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上の画像は志垣氏が不定期に出されていたミニ郵趣誌「World Stamp Journal」。
郵便史の解説をメインにしたミニ誌でしたが、なかなか面白く有益なものでした。
おそらく、何の制約も受けずに、自分で書きたいことを、書きたいだけ書ける場として作られたのだと思います。

氏は長いこと病床につかれていたのですが、僕が最後にお会いしたのは2011年の横浜の国際展会場でのこと。
この時は、すでに病がかなり進行してしまっており、奥様が氏の希望するように作品群の間を車椅子を押しながら参観されていたのが、すごく印象に残っています。
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