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「青島発行の臨時軍事郵便證票」『郵楽』第7巻11号 [文献]

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日本で最も有名な珍品切手の一つといえば、青島軍事。
その青島軍事切手が初めて報告されたのが、上の画像です。

大正10年6月発行の『郵楽』第7巻11号に報告された「青島発行の臨時軍事郵便證票」で、報告者は前田為之助氏。
本報告は、発見の動機や現地での残存状況などについてを、僅か1ページ半にまとめられたもの。

切手の具体的な入手状況や、その後の郵趣界に流れた未使用切手の素性などについては、後年に前田氏からの聞き取り調査により記録されたものがあり、そうした意味ではそちらの方が有益ではあるのですが、本報告は短文ながらも青島軍事発見の第一報として貴重かつ歴史的な報告です。
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『スコットカタログ・アメリカ専門版』 [文献]

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『スコットカタログ』は、内容が大味すぎて面白味がないので、以前から余り好きではありませんでした。
だから、購入する頻度も少なくて、現在『世界版』は2013年版を使っています。

先日必要に迫られて、本当に久しぶりに2019年版『アメリカ専門版』を購入しました。
実は手元にある『アメリカ専門版』は1999年版なんです。
ということは、なんと20年振りの購入。

カラー化されて紙質もよくなったので、重さが全然違います。
ホントにズッシリとした重さで、ページも579ページ増えて1288ページ。
扱いに不便なので、ぜひ分冊を・・・。

切手帳のページも図版が増えて、しかも構成方法が見やすく変わっているので、古い版しか知らない自分にとっては、衝撃的な見やすさにビックリ。

カタログの中央には、見慣れぬ黄色インデックスが付いたページ。
なんだろう・・・。
と開いてみれば、そこにあるのは8段階のコンディション別切手一覧表。
これが、眺めていると意外と面白い。
コンディションの捉え方というか、考え方というか。
意外と日本人って、こうしたところがアバウトじゃないですか。
ですから、なかなか参考になります。

20年振りの『アメリカ専門版』けっこう楽しめるカタログでした。
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「びくにはし雪中」 [雑記]

画像は、タンザニアが1997年に「広重生誕200年記念」として発行した小形シートからの1枚。
この年、切手でちょっとした金儲けをしている各国から、怪しげな「広重200年」切手が沢山発行されました。
そのお陰で、切手としてのクオリティーを別にすれば、多種多彩な広重作品を切手の中に見ることができるようになりました。
もちろん、下の切手もその中の1枚。

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題材は、「江戸名所百景」から「びくにはし雪中」で、現在の場所で言うと、銀座1丁目の首都高速「西銀座JCT」付近になります。
絵の中央に描かれている橋(屋台を担いだ人が渡るところ)が「びくにはし」で、橋の下を流れる川が京橋川になりますが、この川は埋め立てられてしまって、現在はありません。
現在、高速道路が走っているところが、京橋川の跡地になります。

左に大きく「山くじら」と書かれているのはイノシシのことで、描かれた看板は「尾張屋」という有名な店のもの。

それと面白いのは、右の小さな看板。
それを拡大したのが下の画像です。

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看板には「○やき」「十三里」と書かれています。
これは焼芋屋の看板で、1本丸ごと焼くので「○やき」
そして店名の「十三里」とは、栗(九里)より(四里)旨いので「十三里」。
つまり、店名は江戸っ子の洒落というわけ。

面白い版画です。
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田沢旧大正毛紙1銭5厘の中子持罫 [日本切手]

下の画像は、田沢旧大正毛紙1銭5厘の20枚ブロックを貼った郵便貯金台紙で、10年位前に懇意にしている地元の解体業者さんからタダでいただいたもの。

この時は5厘・1銭・1銭5厘のものを10枚ほどいただいたと記憶しています。
その全てが、画像のような旧大正毛紙の中子持罫でした。

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中子持罫で、しかも銘版まで付いています。
ただし、目打は櫛型12×12.5。
これが単線目打だったらなぁ・・・。
なんて言ってては、くださった方に申し訳ない!

これなら貯金台紙でも、僕の日本切手コレクションレベルなら立派に貼れます。

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こんな消印が! [日本郵便史]

楠公はがきに機械印。
もちろん駄物中の駄物です。

ですが、機械印が二重に押されれているとなると、ちょっとした変り物に変身。

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データは下記のとおり。
東京中央/14/11. 16/后0-4
大阪西/14/11. 17/后0-4

抹消印の東京中央はいいとして、なんで大阪西の消印があるのでしょうかね?
大阪西局は宛地でもあるので、紛来でもありませんし、事故でもなさそうです。
しかも機械印ですからねぇ。

なんで到着便が、差立便の方へ混じってしまったのでしょうか。
混じったこと自体が、事故みたいなものですねぇ。

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明治16年5月福井発大坂行きの逓送 [日本郵便史]

旧小判1銭を2枚貼って、福井から大坂へ宛てた書状使用例。
切手も普通、ハンコも普通、発地・宛地とも極めて一般的な、ごく普通の使用例です。

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この時期、福井にはまだ鉄道が来ていなくて敦賀まででした。
そこで考えたのが、どのような逓送だったのか?ということ。

大坂局の消印が「明治16年5月8日ロ便」ということは解っているので、そこから時刻表などを見ながら逆算したところ、下記のような結果となりました。

5月6日
福井局ろ便 →(徒歩)→ 敦賀局
敦賀・福井間の鉄道開通は明治29年7月なので、敦賀まで徒歩であることは確定。

5月7日
敦賀15時20分 →(鉄道)→ 洞道口16時10分
(徒歩)
柳ケ瀬17時45分 →(鉄道)→ 長浜19時
長浜21時 →(汽船) → 大津
この時期、敦賀発の洞道口行きの列車は7時45分発と15時20分発の2便のみ。
朝便に乗せられた可能性も否定はできませんが、後行程の接続と福井・敦賀間の距離および徒歩による山越えを考えると、午後便の可能性が高いと判断しています。
洞道口駅と柳ケ瀬駅の間には、難工事であった柳ケ瀬トンネルがあり、この時期はまだ未開通。このため旅客は、洞道口駅で列車を降り、徒歩で隣の柳ケ瀬駅まで行き、そこで再度列車に乗るという変則的な旅行でした。
柳ケ瀬トンネルが開通して、敦賀・長浜間の直通運転が行われるようになったのは明治17年4月のこと。
接続する列車は柳ケ瀬駅17時45分発で、この列車は長浜港21時発の琵琶湖連絡船に接続しています。

5月8日
大津6時15分 →(鉄道)→ 大坂8時
大坂局ロ便配達
夜行の琵琶湖連絡船から、大津6時15分発の列車に乗せられ、途中の京都駅で接続列車に積み替えられ、大坂駅に8時着後ロ便にて配達。

安価な普通の使用例でも、調べてみると、ここまでは解明することが可能です。
上記の事柄を整理すれば、これでちょっと凝った1リーフが完成。
カバーを貼って、単純に消印データを書き込んだだけよりも、見栄えのするリーフになります。
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『日本郵便百年の年表』 [文献]

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昭和48から51年にかけて刊行された『日本郵便百年の年表』。
意外と知られていないけど、けっこう面白い本として、昔から愛読しています。

慶応4年から昭和22年までを7分冊、合計336ページの年表にまとめたもので1ページが2段組構成。
左側に郵便関係の事項、右側に社会関係の事項が併記されている点がミソなんです。
郵便は社会との繋がりが深いものなので、郵便だけの年表では『郵政百年資料』的で無味乾燥でつまらない。
ところが、社会的事項が加わることによって、読物として俄然に面白くなるのです。

また、年表に対応する形で「史料」からの抜き書きも提示されているところもとても役立ちますし、要所要所に各種図版が挿入されている点も親切な編集です。

歴史嫌いの方の多くの方が年表のつまらなさや、年号の暗記がトラウマになっているようです。
本書は『年表』と書名に付いてはいますが、年表スタイルの読物と考えてもらうのが一番適切だと思います。

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イギリス・ワイルディング [外国切手]

リーフの製造年を見ると1977年11月。
だから、1978年頃に作ったものだと思います。

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ワイルディング・シリーズから、クラウン透かしのホワイトペーパー3ペンスのリーフ。
上段左の1枚のみが未使用で、あとは使用済。
子供のコレクションでは、この程度が精一杯といったところの見本ですね。
使用済の出所は、大沢スタンプの紙付だったはず。

切手の下の鉛筆書きは、燐光線の分類です。
中段の1ペンス切手との連刷は、なかなか得難いもので、紙付にこうしたものが入っていると嬉しくなったもので、ここでは2種が揃いました。

大人になってしまえば、貧弱なリーフにしか見えませんが、当時はこうして丁寧にリーフを作っていたもの。
歳と共に、安価な使用済を大切にしなくなってしまったのですが、こうしたリーフを見返すたびに「初心が大切だなぁ」と反省です。

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スウェーデン・ライオンシリーズ5オーレの2タイプ [外国切手]

先日、友人から聞かれたのが、お題のこと。
カタログを見ても、図版が悪かったり、小さすぎて解らないとのことでした。
言われてみれば、確かにそうかもです。

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ライオンシリーズは、製造面の基本バラエティーが多くて、満足な材料を揃えるには多大な労力(出費も含めて)が必要となります。
僕は、使用済で細々と揃えている段階ですが、なかなか大変な状況ですね。

5オーレにはタイプ1と2の二つのタイプがあるのですが、この分類は基本中の基本で、カタログコレクションでもこの分類だけはしてほしいもの。
なぜなら、原版に由来する大別ですから。

下の画像の左がタイプ1で、右がタイプ2。

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赤丸の中をご覧下さい。
ライオンの足に横線が4本ありますね。
その一番下の横線に注目です。
左のタイプ1は最下段の線が上の線より長いですが、右のタイプ2は上の線と長さが揃っています。
タイプ別は、この他にも見るべき所があるのですが、この横線で分類するのが一番解りやすいと思います。

このタイプ1と2の違いですが、原版彫刻が違うのです。
タイプ1は最初に彫刻されたもので、カナダのブリティシュバンクノート社のプールランドが彫刻したもの。
タイプ2はスウェーデンで彫り直されたもので、彫刻者はウィッケ。

皆さんもこの切手をお持ちでしたら、ここまでのタイプ分類はしてください。
この後の、色と用紙の分類に進むと専門分類です。
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新大正毛紙1銭5厘切手帳 [日本切手]

画像は、新大正毛紙1銭5厘切手帳の使用例。
この切手帳、昭和3年の発行ですが、使用例は昭和9年7月24日で松江局のもの。

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この頃は、シート切手と比べれば大幅に少ないものの、1枚貼りではがきに、ペアにして封筒に貼って、切手帳もバンバン使われているので、使用例の入手に困ることはありません。
ですから、画像のようにちょっと変わったものを見かけたら、即買っておくのがいいでしょうね。

画像の切手は見ての通りの耳紙付き。
大抵は目打できちんと切って使われているので、耳紙付きとなるとかなり少なくなります。

欲を言えば、もう少し耳紙の残りがよければ綴穴の分類ができたのですが・・・。
今一つハッキリしません。
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「二折はがきの追求」 [文献]

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山田静夫氏の名を知る収集家は、恐らく僕の世代より上の方々ではないでしょうか。
氏は、特に派手さがある収集家ではありませんでしたが、今となっては知る人ぞ知る収集家、地味だけど土台の座った底力のある収集家と評することができます。

そんな氏が、『スタンプレーダー』275号(1982年)から7回の連載で記したのが「二折はがきの追求」。
手彫はがきが色々と話題に上り、郵趣誌で取り上げられるようになったのはここ二十数年のこと。
氏が本稿を記した1980年代前半までは、今を思うと信じ難いことではありますが、手彫はがきの記事は本当に少なかったですね。
そんな時代に本稿は執筆されました。

連載は、脇付1銭はがきの版別を中心に展開していくのですが、その記述が通り一遍の無味乾燥的なものではなく、随所に収集キャリアから肉付けされた肉厚な文章となっています。
別の言い方をすれば、味わい深い文章となりましょうか。

自分自身も「こうした文章が書きたいなぁ」なんて思うのですが、知識も文才も無く無理な話。
そう言えば、こうした文章に最近は出会うことがありませんね。
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スイス・郵便配達と建造物シリーズ [外国切手]

スイスが1960年から発行を始めた「郵便配達と建造物」シリーズ。
このシリーズは、シート切手の他に幾つかの額面ではコイル切手でも発行されています。
と言うことは、シート切手とコイル切手の区別が必要なんですが、面倒なのは日本のコイル切手のようにストレートエッジではないところ。

よく見れば、カッターで切ったような断面を持っているので、慣れればシート切手とコイル切手の区別は難しくはないのですが、それ以外に印面での区別もできます。

下の2枚の切手は、上がシート切手で下がコイル切手。

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さて、どこが違うでしょうか?
区別のポイントは、下の拡大画像を見てください。

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左がシート切手で、右がコイル切手の拡大画像です。
赤丸部分に点が有るのがシート切手で、無いのがコイル切手。

図案が違うので区別の仕方も異なりますが、5、10、20、50サンチームの額面で、印面上から区別が可能です。
この手法は、カバー上の切手の区別に有益ですね。
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所要で京都へ [風景印]

水・木曜日と所要があって、京都の娘の所へ行ってきました。
娘は叡山電車沿いの所に住んでいるので、昼食は一乗寺ラーメン街道へ。

一乗寺ラーメン街道というのは、関西一のラーメン激戦区なんだとか。
この日に行ったのは「びし屋」という、濃厚な豚骨魚介系スープのお店。
なかなか美味かったですよ。
店に行く途中のラーメン店は、どこも開店前から列を作っていて、それが平日でもそうなんですから、やっぱり日本人とラーメンの絆はすごいですねぇ。

で、お腹いっぱいになった後は周辺の郵便局へ風景印を押しに。
1局目は山端局。
図案は修学院離宮の千歳橋。

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そして2局目は、白川通を下って一乗寺局。
図案は、史跡詩仙堂、宮本武蔵と吉岡一門決闘の場一乗寺下り松、宮本武蔵像。
図案の石碑には、ちゃんと「決闘之地」と書かれています。
「下り松」は「くだりまつ」と読むそうで、現在のは4代目だとか。

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今回は、この2局のみで打ち止め。
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10円土器往復はがき [日本ステーショナリー]

画像は、1972年2月1日に発行された「10円土器往復はがき」。
子供の頃に往復はがきは使いませんでしたが、普通のはがきはよく使いました。

下の画像、ご覧のように何の変哲もない、一見すると普通のものに見えますが、細かく見ると「なんだろう」と思うものが・・・。

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拡大して見てみましょう。
下の2点がその拡大画像です。

先ず最初は、右上の上端。
黒丸の中に朱色の線がありますね。

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続いて下の画像ですが、今度は左下の差出人の郵便番号枠の上方です。
ここにも、上と同じ朱色の線があります。

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この朱色の線は、郵便番号枠と同じ色。
これと同じ特徴を持つはがきを、別々の所から入手して3枚持っています。
そして、この特徴を持たないはがきもあります。

このはがき。
駄物すぎてマジマジと観察することがありませんよね。
一度、皆さんもお手元の往復はがきを確認されてはいかがでしょうか。
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『英国切手研究会報』225号 [文献]

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『英国切手研究会報』225号が到着。
表紙は、ワイルディングの在ドイツ英国軍事郵便局からドイツ国内宛のカバー。
いいですね。こういう使用例は。
単調になりがちな使用例の中にあって、変化球みたいな存在で好ましいもの。

続くレポートは、アジア国際展とJAPEX2018。

そして5回目の連載になる「Machins' "Penny red"」。
この中に50ペンス切手帳の使用済を単片、連刷、田型でそれぞれ構成したリーフが4ページ紹介されていました。
これだけの使用済を揃えるのに費やした努力に、敬意を表します。
こうしたリーフを、競争展に出しても評価が低いことは間違いありません。
でも、そういうことではなくて、安価なマテリアルを材料に難しいことに挑戦しながら切手を楽しむという視点に立てば、誰もが素晴らしいリーフであることに気がつくことでしょう。


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郵便切手貯金台紙(2) [雑記]

昨日と同じネタで申し訳ない!
でも一緒に入手したものなので我慢してください。

昨日ご紹介したものは大正8年製でしたが、今日のは翌9年製です。
この製造年の記し方が両者では若干違っていて8年製は「大正八年」と年号のみですが、9年製は「大正九年八月」と、製造月まで記されています。

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肝心の切手貼付面の標語ですが、8年と9年では全く違っています。
もしかしたら、毎年考えて違う標語を載せていたのでしょうか?

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8年製は茶色で見やすのですが、9年製は黄色の印刷なので、とても見難いですね。
皆さんは読めますでしょうか?
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