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手彫印紙、手も足も出ない話し [印紙]

同じ手彫だという理由で、積極的では無いけど機会があれば集めている手彫印紙。
印紙も切手と同じく和紙と洋紙があって、調査が進んでその成果がある程度公開されているのは和紙の方。
まぁ、この傾向は切手も似たり寄ったりです。
ですが、その調査・研究の進捗状況は収集人口の差がそのまま反映されて、印紙の方は切手の千分の一程度ではないでしょうか。

下の画像は、手彫印紙の駄物中の駄物である洋紙1銭。
残念なことに、2枚が欠けているがためにフルシートにはなっていません。
これが切手だったらスゴい大ブロックとして、皆さんの注目を浴びるのでしょうけど、印紙ではねぇ。

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この欠落した縦2枚は入手したときから無かったので、もしかしたらエラーを含んだポジションだったので、先に切り取られたのかも知れません。

ところでこの洋紙1銭ですが、肝心の版別がよく解らないのです。
公開されている情報では、全ての特徴が明らかにされているわけではなく、当てはまらないものが多くあります。
古屋氏によれば「一般収集には、版別の必要は無い」そうですから。
つまり、それだけ数が多すぎてどうにもならない印紙ということなのでしょう。

ただ、この印紙には印面のガッター幅が2ミリと3ミリの2種類があって、最低その区別はした方がよさそうです。
画像は3ミリ幅のもの。

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永代橋之真景 [日本切手]

通常切手ならばルーペで舐めるように見る収集家も、現代物の記念・特殊切手になると、図案をチラッと眺めてお終いという人が多いと思います。

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画像の切手は、昭和47年の国際文通週間切手で「東京第一名所 永代橋之真景」を題材としたもの。
本図は大判3枚組みなのですが、切手に選ばれたには中図。
この切手をルーペで覗くと、なぜ中図が選ばれたのかがわかります。

下の拡大図は、橋を渡っている人の中からの1人です。

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もう、お解りですね。。
そう、郵便集配人です。

では、もう1つ描かれている郵便関係の下の拡大図は何でしょうか?

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これは、なかなか解らないのでは?
何かの旗なのですが・・・、

日本帝国郵便蒸気船会社のもの。

こんな小さな印面の中に、2つも郵便を示すものが描かれているとは、よく考えて選定されていると思います。
こうしたルーペの世界も、意外と楽しいものです。
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せっかくですが大キズ [日本ステーショナリー]

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せっかくの尾道ボタですが、虫食い。

もう随分と前に入手したのですが、虫食いながらも「エーッ!」とビックリするようなお値段だったので、有難く頂戴したもの。

買った当初は、同じ小判形1銭はがきの捨てるようなものを再利用して、穴を塞いで補修するつもりだったのですが、買った時にポイッと入れた箱の中で永い眠りについていました。

専門収集を作っているわけではないので、綺麗なパリッとしたものを高いゼニを払って買うつもりは無いので、安価だったこんなキズものを補修して代用しようかと。
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第3次昭和の穿孔切手 [日本切手]

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画像は、誰もが知っている第3次昭和の5銭切手。
印面を汚す程度のチョロ消しで、全く良いところが見られない、使い道の無い切手に見えます。

そんな切手ですが、裏面を見ると下の通り。

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穿孔切手だったのです。
穿孔が弱すぎて、貫通してないので表面からは駄物にしか見えなかったわけ。
で、肝心の使用者ですが、見方が悪いのか穿孔切手の本を見ても解らないのです。

第3次昭和の穿孔切手って、どうなのでしょうかね?
僕は、他で見た記憶がないのですが・・・。
それとも僕が知らないだけで、そこそこあるのでしょうか。
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手彫小形高額印紙1円 [印紙]

証券印紙が発行されて、たったの2ヶ月で大形印紙は不便だからと、切り替えられたのが小形高額印紙。
下の画像は、その中から1円です。

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目打はルレットなのですが、細かすぎて一見無目打のように見えますね。
この印紙の版数は少なくて2版だけ。しかも版別が易しく画像のものは1版です。

この印紙には版欠点の報告が無く、ちょっとつまらないので不人気。
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『帯封』 [文献]

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平成元年に出版された『帯封』。
もっと古かったと思っていたら、意外にも平成でした。と言っても四半世紀が経ちますね。
そんなこと言いながら、自分も同じだけ古くなりましたが・・・。

本書は、出版当時は帯封のみの作品集として、企画自体がとてもインパクトがあるものだったので、多くの人の記憶に焼き付いていると思います。

本書が出された頃は希少性が高かったマテリアルも、その後に色々と物が出回るようになりました。
本書の解説を読み直すと、改めてそのことを実感します。
例えば、震災5厘の解説には「震災5厘の1枚貼りは、帯封の最難物といえよう。ことに本図のように中身つきのままの例は初めてお目にかかる」と。

この企画、今、作品集を見直しても色褪せないインパクトがあります。
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萩局の風景印 [風景印]

捜し物をしていたら、懐かしいものが出て来ました。

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山口県萩局の風景印です。
今では、現行の風景印といえば実際に自分で局を訪ねてしか集めませんが、子供の頃は郵頼を多少していました。
画像の萩局もそうしたものの1つで、中学の時に集めたものです。

今では変形印はあちこちにあって普通ですが、あの頃は原則円形で例外的に変形印がありました。数は知りませんが、全国で20局も有るか無いかだったと思います。

萩局の夏みかんの外形に松下村塾を配した構図は、今でも使われているようです。
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Non Cancellation [外国郵便史]

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画像のリーフは、以前にルーマニアでの国際展に出品した作品からの1リーフで、タイトルリーフの次の来る、作品の冒頭に位置するものです。

作品の主題は、ハンガリーにおける19世紀の郵便印を扱った郵便史作品で、地味なプレスタンプがその中心になります。
切手展で見ていても、切手の貼っていないプレスタンプの作品となると、興味を示さない参観者が多く、素通りの人が目につきます。
切手展なのですから、切手が貼ってない作品がつまらなく見えても仕方がありません。

画像のリーフは前史としてリーフなので、切手は当たり前ですが、消印すら押されていません。
極端な言い方をすると、宛先が書いてあるだけ・・・。
ですが、マニアックに見ると矢印ラベルのところに、郵便料金がちゃんと書いてあるので、郵便による逓送カバーであることがわかります。

上のカバーは、1769年の使用例で、重さ1Lothまでの重量便で8フォリント料金。
下のカバーは、1772年の使用例で、重さ0.5Lothまでの4フォリント料金です。

切手も無く、しかも消印も無い収集品としては超地味なマテリアルですが、カバー上の書込み1つで物語りの資料として使える点で、こうしたカバーも面白いものです。
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『旧中国切手カタログ』 [文献]

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予約してあった『旧中国切手カタログ』が到着。
封を解いて驚いたのが大形化された判形で、『日専カタログ』と同じ大きさになっていました。どうせなら、これから出版されるカタログは、全てこれで統一したらどうでしょうか。
見た感じは見易くなって正解だと思います。

本文もカラー化されて旧版よりも、内容充実で良い感じです。
本文中にも詳しいノートが適度に挿入されていて、このカタログを通読するだけでも、門外漢にはけっこうな知識を手に入れることができます。

旧中国を出した事だし、同じコンセプトで解放区の新版も作ってもらえないでしょうか?
以前のものは、内容が良くても、図版や文字が小さかったし白黒でしたからね。
これは、お願いです。

最後に1点だけ苦言を。
表紙にある「水原明窗没後20周年記念」という刷り込みは、止められた方がよい。
郵趣協会も「公益財団法人」となったので、そろそろこのような個人商店的な露出は控えるべきではないでしょうか。

本文154ページで、税抜き価格2,200円。
中国を集めていなくても、このカタログは買いですよ。

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フラフラの消印ですが・・・ [日本郵便史]

下の画像はカバーの一部分なのですが、消印部分をこれだけ拡大をしてもフラフラでよく見えません。
貼付切手は、旧大正毛紙の3銭ですから、普通だったらコレクションに加える気はしませんね。

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それで、データを示すと「東京中央/12. 9. 14/后」。
というわけで、大正12年9月14日の東京中央局の使用例。つまり関東大震災の混乱期の使用例です。
手紙の中身も付いていて、差出人は東京市四谷区の住人で家は焼けずに無事だったことなどが書かれています。

普通だったら見向きもしないカバーですが、上記のようなしだいでコレクションに加えてあります。
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『カナイ・スタンプ・レーダー』113号 [文献]

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『カナイ・スタンプ・レーダー』113号(1969年1月)に、橘喬一氏による貴重なオークションルポが掲載されています。

1968年10月21日、H. R. ハーマー社のオークションと言えば、外国切手好きなら直ぐにピンと来るのではないでしょうか。
そうです。あのデール・リヒテンシュタイン・コレクションの第1回目の競売で、モーリシャスのポスト・オフィス切手1ペンスを2枚貼ったカバーが、当時最高の38万ドルで売られた競売です。

この時は、金井氏が参加(代理人は、ギボンズのマイケル)したので橘氏も同行し、その時の体験を記事にしたものです。
世界的珍品と言えども、売られる時は淡々と呆気ないものという雰囲気が伝わる記事です。

本稿と金井氏の著作である『方寸の魅力』を読むと、当時の状況がよくわかり郵趣史の側面として、なかなか面白いものがあります。
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風景印の実逓便 [風景印]

伝統郵趣の使用例で、あまりに普通の使用例ばかりだと、ちょっとつまらない時があります。
例えば、第1次昭和乃木2銭の私製はがきの1枚貼りだと、初期使用とか鉄郵、船内、南洋などなら、それ自体に重みがあるので面白いと思いますが、多量に残っているごく普通の櫛形印の使用例ばかりでは、見る方もウンザリしてきます。

そんな時に下のような風景印の実逓便があると、目立つ使用例なので良いアクセントになりますね。

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データは「永平寺門前/14. 7. 18」。
戦前の風景印と言うと、よく見る楠公はがきの官白が定番で、実逓便を探すと意外と少ないもの。
安ければ、見つけた時にそっと買っておいても損はないと思います。
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「大森の停車場印」 [文献]

画像は、『JPC』162号(1971年11月)に掲載の「大森の停車場印」からの1ページ。
停車場印は、趣があって良いですね。

本稿は、大森駅の停車場印付のカバーを材料に、同駅から搭載される鉄道便について考えるものです。
その中で示されたのが、下の画像の送致証。

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これは、駅のポストで集めた郵便物を列車内係員に渡す時の確認証みたいなもの。
この送致証の年代はわかりませんが、横浜までしか駅名が書いてないので明治10年代のものだと思われます。そして、5月6日の下り7列車に大森から搭載されたのは、横浜宛の逓送袋がたったの1つだけ。
そう言えば、たしかに大森の停車場印は少なさそうに思えます。

本稿で紹介されている送致証は、裏面が公用の通信文に再利用されたのでたまたま残ったものなのですが、これと同じ送致証が各駅で郵便車へ搭載の時に作られていたのでしょう。
各地でこの送致証がまとまって残っていたら、鉄道郵便には面白い史料となったでしょうね。

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震災切手1銭5厘のちょっとだけ初期使用 [日本切手]

昨日は乃木2銭のちょっとだけ初期使用でしたが、今日は震災の1銭5厘です。

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肝心の年部分が半欠けで残念なのですが、12年だということはわかると思います。
データは「大阪中央/12. 11. 30/后3-4」。

この切手の初期使用は、10月末のものからありますから、それから見ると一月遅れの使用です。
ただ一月遅れと言っても、そうそうある使用例ではありませんから、専門外収集としては上出来だと自分では思っています。
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乃木2銭のちょっとだけ初期使用 [日本切手]

以前に乃木2銭の朝鮮使用例で、昭和12年10月の消印のものを紹介しましたが、今日は内地の使用例を紹介しましょう。

下の画像がそれで、データは「彦根/12. 7. 29/后8-12」。

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発行後、2ヶ月半ほどのものです。
風景2銭が大量に残っていたので、5・6月の使用例は極めて少なくて、7月頃からボツボツと見られるようです。
と言っても、かなり注意して探さないと7月使用でさえ簡単には入手できないと思いますが、どうでしょうか?

僕としては、5月とは言わないので、せめて6月の使用例が欲しいのですがねぇ。
しかも普通のお値段で。
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『東京大学切手研究会30周年記念誌』の表紙カバー [雑記]

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画像のカバーは普通の収集家にとっては、余り興味が湧かないものと思います。
では、なぜ『東京大学切手研究会30周年記念誌』の表紙に載っているのかというと、東大動物学科の創設者であるモース教授宛のものだから。

単に動物学科の教授というだけでは、僕には全く関係が無いし興味も無いのですが、モースのもう1つの側面に日本に近代考古学を導入した人というのがあります。
京浜東北線の大森駅近くの線路際に、モースが発掘調査した大森貝塚の記念碑が建っていて、電車からも見えます。
考古学で飯を食っている僕としては、こうなると俄然興味深いカバーになるのです。
自筆カバーなら尚更ですが、モース宛でもやっぱり興味深いですね。

横浜の欧文印は明治10年6月18日(東京の配達印も同日)なのですが、この日付はモースの来日と同じ日。
つまり、モースとモース宛の手紙が同じ船で運ばれて来たという、ちょっと面白いものです。

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小判横型用紙改正連合往復葉書 [日本ステーショナリー]

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画像は、1892年発行の小判横型用紙改正連合往復葉書で、連合はがきの使用済で返信部付が欲しくて買ったもの。
贅沢を言えば、往信・返信ともに使用済だったらなぁ・・・。なんてことを思うけど、そんなマテリアルは当然、資金的に買えるわけがありません。

抹消印は神戸で1896年6月5日で、中継印は横浜6月7日。そしてドイツ到着は7月12日です。

宛先、本文ともに珍しく鉛筆書きで簡単に書かれています。
ちょうど日本人の間で鉛筆が普及しだす頃のものですが、差出人は外人なのでもっと前から鉛筆には馴れていたのでしょうね。
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『郵趣反古集』 [文献]

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鳴美から出版された澤護氏『郵趣反古集』。
収められているのは『スタンプレーダー』に76回連載された「郵趣反古集」のみではなく、『全日本郵趣』に43回連載された「続郵趣反古集」と『スタンプレーダー』に10回連載された「葉書に学ぶ」の3連載。

本書の有難い点は2つ。
1つ目は、上で述べたように本来はバラバラである連載が1冊になっているので、通読するにはもってこいの体裁であること。
2つ目は、原本がA5判であるのに対して本書はB5判なので、本文が大きく拡大されており、老眼になってしまった身には、大変に読みやすいこと。

それにしても、澤氏の文章はいつ読んでも良い文章ですね。
こうしたオールマイティに知識が豊富で文才のある人は、今後はなかなか出て来ないのではないでしょうか。
文章とは違って澤氏の手紙は、独特のクセのある文字で読み難いものでしたが。
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米国・印紙 [印紙]

探しものをしていたら、子供の頃に使っていたストックブックが出て来ました。
中に挟まっていた1枚がこれ。

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米国の印紙ですね。
他にも何枚かの印紙がありましたから、たぶんパケットから出て来たのでしょう。
凹版だし、印面の高さが48ミリもありますから、なかなか迫力があります。

画像のようなペン消しは美観が悪いのでいけませんから、未使用でリーフを作ると壮観な眺めになるでしょうね。
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櫛形印C・E欄無し [日本郵便史]

戦争激化の影響を受けて、櫛形印のC欄が都道府県や三ツ星になったのは、よくご存知だと思います。
時期的には各地バラバラなのですが、北海道が最も早くて昭和17年8月頃からと言われています。(本当かどうかは知りませんが・・・)

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画像は、北海道の小樽局のもので18年11月5日の使用例。
C欄都道府県名どころか、三ツ星すら無い全くの空欄です。しかも、加えてE欄もありません。
この時期に、こんなのがあるのですねぇ。
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ダブル機械印 [日本郵便史]

機械印は、集めているとへんてこりんなのに稀に出会います。
下の画像は、異なる局の機械印が押された例。

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データを記すと以下の通りです。
「東京中央/14/11. 16/后0-4」
「大阪西/14/11. 17/后0-4」

差立地が東京市向島区で、宛地は大阪市西区なので、両方の消印が抹消印と配達印のような関係になります。
なんで、こんな使われ方になるのでしょうかねぇ。
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大連中央のエラー印 [日本郵便史]

50円均一の箱の中から出て来たのがこれ。

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実は最初、「大阪中央」の逆位取り付けのエラー印だと思っていました。
買ってからはしばらく放ったらかしで、何の気無しに葉書の束を見直していたら、「アレレ」と「大連中央」と気が付いたしだいです。
データは昭和18年8月21日。

明日は嫁さんと、東京へ遊びに行ってしまうので更新はありません。
次回は日曜日の夜になります。
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『stamp club』2014年号 [文献]

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友人である吉田敬氏が発行する、切手収集初歩者または予備軍向けの年刊フリーペーパーが、今年も刊行されました。

『北陸郵趣』3月号でご紹介させていただきましたのでご覧下さい。
画像をクリックすると拡大します。

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朝鮮櫛形三ツ星 [日本郵便史]

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C欄三ツ星と言うと、戦時中の時刻表時廃止に伴う処置とは解ってはいても、やっぱり面白みに欠けます。
画像の切手もその1枚で、データは下記の通り。
「元山/15, 7, 20/★★★」

ということで、今の北朝鮮である元山での使用例。
外地の三ツ星使用は内地よりも早くて、画像のものは使用開始年のものです。
そんなことが解ると、この消印でもちょっとは親しみが出て来ますね。
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『満州切手別冊 切手とエンタイヤ写真集』 [文献]

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田中清氏と言えば、僕が子供の頃には満州切手の大家として有名で、満州切手の専門カタログとか解説書を書かれていました。
たぶん、カタログ、解説書、写真集の3部作というセットを構想されていたのではないでしょうか。

本書は、コレクション集の形をとっており、1ページに1リーフで103ページ構成となっています。
採録は「限吉黒貼用」切手使用例から始まる編年体なので、カタログや解説書で読んだことを確認出来る図版編としても利用できますし、リーフによる満州切手入門としても見ることが出来ます。

昭和51年発行で200部の限定本です。
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『外国郵便100年』 [文献]

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本書は、1975年のJAPEX特別展示を記録したもの。
このブログをご覧の方の中にも、参観された方が多くいらっしゃると思います。
もちろん、僕も父親に連れられて鎌倉から見に行きました。小学生の時の話しです。

この時は、昭和50年という年だったので、他に郵趣マテリアルを使って昭和を解説した特別展示もありました。
外国郵便の展示よりも、この昭和の展示の方が子供にはわかりやすかったと思います。

で、本題の外国郵便の展示は、当たり前ですがマニアックすぎて子供の知識ではどうにもなりません。
ただ、スゴそうなカバーがズラズラっと並んでいただけで、「フーン」といった感じです。
まぁ、それも仕方がありません。何しろ小学生ですから。

しかし、その小学生ながらも、何かの本で知識を仕入れた「八戸カバー」と1875年1月8日の「外国郵便初日使用例」は、よく覚えています。
両方とも、わかりやすいカバーですからね。これだけはインパクトがあった。

今日は文献の紹介というよりも、単なる思い出話です。
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オーストリアの帯紙 [外国ステーショナリー]

外国切手を好きで集めていますが、そのついでにステーショナリーも手に入れる時があります。
もちろん、専門的の集めているネパールなどは積極的にその充実に努めますが、そうではないカタログ・コレクション的な国は、本当についでにといった感じです。

幸い日本の切手商も、切手については世界カタログなどで勉強しているものの、ステーショナリーになると興味を持っていないのか、いい加減なところも・・・。
都内某切手商では、ある国のクラシック・ステーショナリーについて「幾らぐらいなものなの?」「幾らなら買う?」と言われたことも。
こちらはだいたいの価格は知ってはいるものの、そんな値段では買いたくないし、どうせ買うなら安い方がスリルがあるので「値段を決めるのはそちらだから、幾らにする?」とか何とか言って提示させ、それが安ければ有難く頂いちゃうちゃうわけ。

上の話しのように値段が付いて無いことは滅多にないけど、下の画像の帯紙のように苦し紛れに100円とか200円程度までのことは、よくあります。

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画像の帯紙は、ウイーンで1909年3月31日の使用例。
こうしたものも安い時に入手しておけば、切手のみではわからない郵便史的なことも知ることができるので、面白い材料にはなります。
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『呉ポスト』699号 [文献]

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『呉ポスト』699号。来月には700号です。
なんと、長野氏の「北海道の郵便印(不統一印抜粋)」はカラーです。カラーと言っても、ちゃんとした印刷ではないので美しくとまでは言えませんが、それでも白黒よりはずっと印象が違います。

行徳国宏氏の「郵便物の最大長さ」は、細長い長さに視点を置いた解説で、郵便制度の視点から見ると「なるほどね〜」と感心。
と言うのは、5〜6年前に切手商の即売で、長期療養者が療養所から差出した俳句の短冊を入れた第1次昭和貼りの封筒が沢山出て、店主から「ねぇ、どお?」と勧められたことがあったのです。
そのときは、リーフには全く収納できない長い封筒だったので「こんなの、リーフに貼れないし、どうにもならないよ」って、買いませんでした。
今から思えば、あの時の封筒がまさにこれ。
郵便制度に関心を持っていたら、何通か買ったのに。大失敗。
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