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「見返り美人」のシート [日本切手]

『郵趣』4月号カラーページの「見返り美人」の特集記事は、「郵趣」掲載の記事としては、何年かぶりに歯ごたえのある記事でした。

実は、僕の手元に1枚の「見返り美人」のシートがあります。
某郵趣会に出た時の盆回しで入手したものなのですが、状態が悪かったのと、シートが敬遠されて札が入ってない状態で回って来たのを、有り難くいただきました。
「資料的な意味合いで手元にあってもいいな」と思い、札を入れたわけです。
それが、下の画像のもの。

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この5枚をルーペで覗くと、1枚、1枚に何らかの特徴が見えます。
茶点、白点、引っかき傷。

また、目打の繋ぎ目のズレも見えます。
このシートの場合、最大で目打穴0.5個分ほどのズレが確認できます。
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戦前の風景印・長野武石局 [風景印]

画像は、以前に信州に遊びに行った時に、信州人さんからお土産にいただいたもの。
長野武石局の風景印で、日付の昭和10年9月1日は使用開始初日です。

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図案は、上に日本アルプスの遠望と、下に鬼ツツジを描いています。
このブログでは、たびたび戦前の風景印の優秀さについて触れていますが、この風景印もなかなかのものだと思います。
図案としては左程のものではないのですが、鬼ツツジの彫りが「すごいなー」と感心します。
下が、その鬼ツツジをアップした画像です。

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どうです?
芸が細かいでしょ?
今の風景印に見慣れてしまうと、惚れ惚れとする彫り方ですね。

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田沢大正白紙切手帳 [日本切手]

1978年5月12〜13日に開催されたWaverly オークション。
そのカタログを見ていたら、こんなのが載っていました。

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田沢大正白紙切手の外信用切手帖の完本。
さすが海外で集められた出品物だけあって、帯が掛かった状態です。
国内だったら、こんなことにはならなかったでしょう。
貴重な写真だと思いますね。
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ネパールのプレートプルーフ [外国切手]

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画像は、ネパールの Pashupati シリーズから2Piceのプレートプルーフ。
シート状なので、スキャナに収まり切れずに最下段が途中で切れてしまっていますが、本来は100面シートのものです。
しかし、残念なことに第1コーナーの12枚が切り取られてしまっているので、88枚ブロックという形状。
それでも、貴重なマテリアルであることに変わりはありません。

いつもは、シートファイルに収納してあるのですが、展示となるとWリーフになってしまいます。
意図的なWリーフは、展示では使うべきではないと判断しているのですが、こればかりは物理的にWリーフではないといけません。

そうすると、フレーム内での割付も今までのようにスイスイといかなくなると思います。
前後のリーフとの兼ね合いもあるので、悩ましいところですね。
まだ、構想の段階なので問題に直面しているわけではないのですが、どうしたものかと・・・。
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「高徳線鉄道全通」特印 [雑記]

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Tポイントでのお買い物。

四国の高松と徳島を結ぶ、高徳線の全線開通を記念した特印です。
国鉄時代は高徳本線だったのですが、JRになってからは高徳線に変更されてしまいました。
なぜでしょうね?

明治32年に私鉄として営業を開始したのですが、明治40年に国有化され、その後営業区間を伸ばして昭和10年3月20日に最後の区間が完成して全線開通しました。
この時に使用されたのが、画像の特印です。

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『日本船内郵便局印図録』 [文献]

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JAPEX2017記念出版『日本船内郵便局印図録』が到着。
例年ハードカバー装丁(例外もありますが)のが、今回はソフトカバーの仕上がりです。
第一印象は、「お値段的には、ちょっと高いかな」って感じです。

本文は各船ごとの解説で、文字がびっしり。マテリアルはちょっぴり。
最初に刊行案内が来た時に、「テーマ的には難しいけど、どんな切り口にするのか?」と思ったのですが、こんな形になるとは想定外でした。
JAPEX記念出版は眺める本という印象が先行しますが、本書は読む本です。
これから、ゆっくりと楽しみながら読んでいきたいと思います。

付録のCDには、JAPEX作品と、資料として「日華連絡線配船表」と「日本郵船桑港線航海表」が付いています。
付録の方は、見て楽し、資料として有難い。
特に「日華連絡線配船表」は、郵便史のみならず伝統郵趣的にも、役立つこと間違いないと思います。
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隠岐・西郷港 [日本郵便史]

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新小判1銭ペアに丸一形日付印。
一見、珍しくもない使用例ですが、データを示すと「隠岐 西郷港/二一年九月十五日ホ便」。

この局は改称が激しくて、以下のようになります。
明治5年7月1日 西郷郵便取扱所
  7年     目貫
  8年10月   西郷港
  23年4月1日  西郷

ここで注目してもらいたいのが、丸一印の日付と局名の関係。
丸一印は、ご存知のとおり明治21年9月1日の使用開始ですから、「西郷港」表示は1年半ほどになります。

しかも、このカバーは丸一印使用開始初期のもので、都市の大局ではないところがミソ。
使い込まれていない印影が美しいですね。
普通の丸一印の使用例ですが、気に入っているマテリアルです。
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『日本の郵便と歩んだ井出家五代』 [文献]

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先日、届いた『日本の郵便と歩んだ井出家五代』。
切手の博物館で開催される展覧会図録を兼ねた文献です。

中身についてはここでは述べませんので、ぜひ買って、そして読んでください。
一言で言って、この本は「買い」です。

とにかく面白い!
今まで見たことがないような史料がズラズラと。

今まで、郵便局の歴史的史料といえば古文書を活字化した史料集が多かったのですが、本書はビジュアルで誰もが楽しめます。
そうした意味でも絶対に「買い」です。

本書を読んで、4月の特別展を参観すれば、より一層興味深く展示史料を見ることができます。
本書を目にしたら、今から展示を見るのが楽しみになって来ましたね。
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機関車500円のシート [日本切手]

この話は、以前から機会があるごとに知人には話しているので、ご存知の方も多いのですが、文字に記すのは初めてです。
仮にA氏としておきましょう。

A氏は、お亡くなりになってもう10年以上は経ちます。
コレクションは、市場に出ているのを見たことがありませんから、生前のままの状態で娘さんが管理をされているはず。
最後に娘さんにお会いしたときも、「処分するつもりは無い」とおっしゃっていました。
奥様も娘さんも、個々のマテリアルの評価は別にしても、コレクション全体としての希少性はよく認識されていました。

氏は地元の収集家とは、ほとんど交わりはありませんでした。
正確に言うと、若い頃は地元での交流をされていたのですが、あることがきっかけで没交渉的になられたようです。
そんな方と僕が交流することができたのは、僕が地元とはしがらみがない、他所からの転入者だからだったと思います。

折に触れて、A氏の様々なコレクションを見せていただきました。
我家からは、自転車で10分ほどの距離だったので、暇を見つけては話し込みによくお邪魔していました。
後で知った事なのですが、コレクションをあれほどまでにじっくりと何度も見せた人は、僕以外にはいなかっとのこと。
地元の初期郵便史では、未発表のマテリアルがズラズラとリーフに。
今でも残念に思うのですが、氏が最も気に入っていた警察署発のカバーがあったのですが、なんで貴重なマテリアルだったのかが思い出せないのです。
「これを見た時にはホント驚きました」
とおっしゃっり、熱のこもった解説だったのですが・・・。
あの頃は、地方郵便史に興味が無かったので、メモを一切取らなかったのが悔やまれます。

ある日、例によってお茶を飲みながら昭和切手関係の話でもしていたのだと思います。
「こんなのが、あるんですよ」と言って金庫から出して来たシートファイルに収まっていたのが機関車500円のシート。
「えー!」
っと驚いた顔をしていたら、
「郵便局から頼まれましてね」
と言うお話。
なんでも、本省へ引き上げる時に郵便局から購入を頼まれたとのこと。
「引き上げの手続きが面倒だから、買ってくれって言ったのでしょうね」
「在庫を全部押し付けられました」
と淡々と、おっしゃっていました。

A氏は、戦後ヤミ市の商売からスタートしたそうで、お住いもヤミ市があった場所の一角でした。
戦後の混乱期のことは微妙な問題が絡むので、僕は相手が話すまで深く突っ込まない主義。その方が、かえって相手が安心してよく喋ってくれるのです。
だから、正確な事はわからないのですが、氏がポツポツと話した点を繋いでいくと、どうも氏はヤミ市の顔役的な存在だったみたいなのです。
それが、のちに生業へと繋がったのには整合性があり納得ができます。

A氏は、ヤミ市やその後の生業で得た資金を切手に注ぎ込みました。
氏が話してくれた断片的な事から、ヤミ市での上がりが相当な金額だったらしく、それを元手に生業を始めたのです。
その結果、手彫切手や地元郵便史を中心とした、素晴らしいコレクションを作り上げ、たまたまその中に機関車500円のシートが含まれたのです。

氏と郵便局との繋がりは深く、地元では一番の切手の顧客だったと見えて、ある意味ツーカーの仲だったと言えます。
郵便局と持ちつ持たれつ的な仲であった事は、昭和20年代、30年代の氏のいろいろな話の節々からよく伝わって来ました。
そうした郵便局との関係が、今に伝わる機関車500円のシートを産んだと言えます。

僕がそのシートを見てから二十数年。
機関車500円のシートは、当時は綺麗な状態でした。

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モーリシャス・デールカバー [外国切手]

モーリシャスの初期切手というのは、全世界の収集家にとって魅惑の切手と言っても過言ではないと思います。
それは、希少性とストーリー性の両方を併せ持っているからにほかありません。
もし、このどちらか片方が欠落していたとしたら、恐らく普通の珍品切手で終わっていたことでしょう。

そのモーリシャス初期の切手には、幾つかの超有名なマテリアルがあり、その1つが今日ご紹介する「デールカバー」と呼ばれるものです。
「デール」と言うのは、以前の所蔵者であったLouise Boyd Daleから付いた愛称。

Louise Boyd Daleが1967年に亡くなったのち、彼女のコレクションはH. R. Harmer社によって競売にかけられました。

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その第1回目が1968年10月21日に行われたのですが(上の画像がカタログの表紙)、そのロット1、すなわち11回に分けられた大競売のトップに選ばれたのが、デールカバーと呼ばれた下の画像のカバーです。

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このカバーだけに見開き2ページを使い、さらに別ページにカラー図版まで載せています。
この編集を見ても、Harmer社のこのカバーに対する力の入れようが伝わって来ますし、当時の競売カタログでは破格の扱いです。

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このカバーは、1ペンスのポスト・オフィス切手が2枚貼られ、1850年1月4日にインドのボンベイに送られたものです。

有名な話ですが、この競売には日本から金井宏之氏と橘喬一氏が参加しており、競売の詳しいルポが『Kanai Stamp Radar』1969年1月号に掲載されています。

このカバーの落札者は、高級品を専門に扱う大切手商のレイモンド・ウェル氏で38万ドル(当時の日本円で1億3千6百万円)でした。
この落札の様子は、その日の夜のうちに全米のテレビニュースで放送されたそうで、最高額レコードを記録した切手として、一般的にも衝撃的なニュースだったのでしょう。
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「上越線全線開通記念」特印 [雑記]

使用期限が数日後に迫ったTポイントの使い道が、下の画像のマテリアルでした。

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「上越線全線開通記念」の特印。
上越線は、子供の頃にスキーに行くのによく利用していました。
あの頃は、特急「とき」や急行「佐渡」「よねやま」が走っていて、スキーシーズン中は指定が取り難く、発売日の朝早くに「みどりの窓口」に並んだ記憶があります。
当時は、乗車日の1週間前が発売日で、予約申し込み書には第3希望まで書くようになっていたと思います。

上越線の群馬・新潟県境には谷川岳を貫く長大な清水トンネルがあって、トンネルを抜けると一面の雪景色に感動したことを覚えています。

その清水トンネルが開通したのが昭和6年9月1日で、このトンネルの開通により上越線が全線開通しました。
それを記念して使用されたのが、この特印というわけです。
図案は、清水トンネルに入る電気機関車を描いたもの。

実は、これとは別に「上越線全通記念博覧会記念」というのが博覧会会場の臨時局で使用されているのですが、欲を言えばこちらも欲しい。
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車中で郵趣活動 [雑記]

ここ4年ほど、東日本大震災関係のお手伝いをしています。
そんな関係で土・日・月と岩手へ出張。
もちろん、震災から7年経った11日の行事がメインの仕事です。

仕事がいろいろとあって、12日間連続勤務になってしまい、ここのところ切手を全く触っていません。
せめてもの、まとまった自分の時間というのは移動中の電車の中の時間です。

iPadの中に入れた郵趣関係の読み物を読んだり、今後の切手展への構想メモを作ったり、あるいは郵趣誌への原稿を書いたり。
iPadの機動性は、郵趣活動に欠かせません。
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第1次新昭和1円 [日本切手]

第1次新昭和切手の1円で、古くから有名な版欠点は「1EN」の「E」が「6」になっていたり、富士山の左側輪郭が切れていたりするものですね。
この2点は子供の頃から有名で、特に「6」のものは当時から高く評価されていたと思います。

下の画像は、目立つ割には『昭和切手研究』に未再録で、見るたびに「なんでだろう?」と思ったものです。
ポジションは97-98で、98の方が大きくて派手ですね。
最近老眼が進んで辛い僕でもよくわかる大きさです。
97の方は小さいので2軍扱いの変種でしょうか。それでもペアで隣同士に並んでいるのでリーフ作りにはもってこいの組み合わせ。

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幸いにも同一ポジションを含むブロックが、色調違いで2種揃いました
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旧韓国・鷹切手 [外国切手]

画像は、旧韓国最後の切手シリーズの鷹切手。
大形で堂々とした切手ですね。

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旧韓国と言えば日本製の切手と思えますが、この切手はフランス製です。
当時の郵政顧問だったクレマンセがフランス人だったので、たぶん、そんな関係で母国に発注したのでしょう。

13種で構成されるシリーズなのですが、図案は全てに共通しています。
目打は13.5×14のみだし、用紙のバラエティも無いので、たぶん製造面では面白みが無い切手なのだと思います。
でも、最初に言ったように迫力のある切手なので、ブロックを活用すると見栄えのするリーフが作れそうです。
とは言うものの、ブロックって数があるのでしょうかねぇ?
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米国・1922年シリーズ赤2セント [外国切手]

米国の使用済カタログ・コレクションの中で、1922年シリーズ・2セント切手のタイプ2は単片切手として入手していたのは百も承知だったのですが、なんとまぁ、カバーも持っていたんですね。
しかも、リーフに整理してあるじゃありませんか!!

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全く記憶にないところが、僕のコレクションのいい加減さってやつです。
それにしても、再発見してちょっと嬉しいですねぇ。

全体の画像では小さ過ぎて
「ホントにタイプ2なの?」
と外野に言われそうなので、拡大したのが下の画像。

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これで、わかりますね。
正真正銘のタイプ2です。

別に高価なマテリアルでなくてもいいのです。
なにかしら自分が興味を持てるマテリアルを持っていると、長〜いスパンで、それこそカタツムリのような速度で収集を継続できるものです。

ということで、久しぶりにebayで米国切手の穴埋めを物色しようかと。
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韓国の複十字シール [雑記]

切手収集を長いことしていると、自然と切手以外のものも集まってきます。
そして大抵のばあい、そうしたものは興味が無いものなので、どこかに収納されてしまい忘却の彼方へ・・・。
下の画像も、そうしたものの一つ。
韓国の複十字シールで、しかも50面シートのままです。

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シート画像だと図案が見難いので、拡大してみました。

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赤ちゃんを背負った韓国女性を主題に、バックが雪景色の山を描いているのでクリスマスシールであることがわかります。
しかも印面左下には「1934 1935」と年号が入っているので、日本で言えば昭和9〜10年のシーズンのものであることがわかります。

ついでなので、韓国のクリスマスシールについて調べてみました。
韓国では1932年からクリスマスシールが発行されており、画像のものは3番目の発行のもの。
そして、なんと5×2面構成のペーンを5枚綴った切手帳まで発行されています。
この切手帳は、たぶんシートを縦2列づつ切断して綴じたものなのでしょう。
戦前のクリスマスシールは1940年まで発行されたことがわかりました。

ここまで調べがついたので、せっかくなのでリーフに整理して、旧韓国切手の後ろにでも入れておこうかという気になってきました。
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大統領シリーズ18セント [外国切手]

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画像の大統領シリーズ18セントと言えば、米国の18代大統領。
まぁ、ここまでは切手好きの方なら、米国切手を集めていなくてもご存知だと思います。
じゃあ、18代大統領って誰?
となると、100人中99人は知らないと思います。

18代大統領は、ユリシーズ・S・グラント。
「初めて聞いた名前だ」という方も多いと思います。
歴史上の人物としては、彼の場合は大統領というよりも、南北戦争において北軍に最終的な勝利をもたらした将軍としての方が有名だと思います。

意外と知られていないのですが、彼は沖縄の帰属問題に関わろうとしていたことがあります。
彼は、大統領退任後に行った世界一周旅行の途上中国を訪問し、その時に清朝の李鴻章から琉球問題の調停を依頼されました。
そして、次に訪れた日本で明治天皇と会見した際に、琉球を日清で分割する案を示したのです。
具体的には、琉球北部を日本領、八重山・宮古を清領とするものでした。
その結果は、今の日本を見れば語らなくてもわかります。

日本で旧小判切手が使われていた時代の話です。
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