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フェラリのコレクション [雑記]

昨日、フェラリオークションの日本の部について、ちょっとだけ記したのだけど、そのオークションには、1921〜1925年のパリ開催と、1929年のチューリッヒ開催の2つの系統にわかれていることを紹介した。

ではなぜ、全てがパリ開催ではなかったのか?
第1次世界大戦が始まると、フェラリがフランスからスイスへ移住したことはよく知られていますが、この時に全てのコレクションを持ち出せればよかったのですが、なにしろ膨大な量なので、最も好きだったギリシャのコレクションのみをスイスへ持って行き、1917年にそのままスイスで亡くなります。

フランス政府はドイツ系であったフェラリのコレクションを競売にかけることを決定し、実行します。その時のものがパリ開催のものです。つまり、フェラリがパリに置いて行ったコレクションです。

そして、間を置いて1929年に開催されたのがスイスへ持って行ったコレクションなんです。つまりフェラリが最も好きだったギリシャ切手の部ですね。

フェラリコレクションを一言で表現すると「巨大な全世界のカタログコレクション」と言えます。
ですから、オークションカタログを見るとパリ開催のものは、たしかに凄い珍品があっちにも、こっちにもあるのですが、深みという点ではちょっと見劣りがします。
しかし、最後のギリシャ切手の部(チューリッヒ開催)のカタログでは、それまでとは印象がガラリと変わるのです。
初期切手のエッセイやプルーフに始まり、専門コレクションとして大変に充実した内容になっています。このギリシャ切手の部と他の部を比較すると、フェラリがいかにギリシャ切手に魅せられていたのかがよくわかります。

よくフェラリコレクションについて語られることがありますが、ギリシャの部と他の部では全く収集傾向が違っているので、本来はそれらは切り離して語られるべきでしょう。
オークションカタログを見ていると、巷でよく語られるフェラリ論には無理があるように思えます。
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