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切手展ネーミングのルーツ [切手展]

切手展の名称には大きく2種類がある。1つは「●●切手展」というシンプルなもので、もう1つは「●●pex」というもの。
このうち、前者はストレートな名前なので古くは戦前から使用されています。では、後者はどうなのでしょうか?後者については、毎年恒例の「Japex」があるので、「まぁ、そんな辺りからかなぁ」と思われる人が多いのではないでしょうか。

戦後開催の切手展史をいろいろと見て行くと、僕が確認できた一番古い例は、1955年に名古屋で開催された「Napex' 55」でした。この「Napex' 55」というのは、戦後郵趣史の中でも画期的な出来事として有名な切手展で、文献では「Napex'55の記録」として刊行されています。古くからの収集家の中には、リアルに体験されている方もいらっしゃると思います。
たぶん、その影響を受けてではないかと思いますが、これ以後に地方の小規模、あるいは中規模の切手展でも「●●pex」という名称が使用される例が出てきています。

で、ここから先がまだよくわからないのですが、この「●●pex」を誰が導入したのか?という問題。
このことが気になって十数年になるのですが、いっこうに解決できないでいます。
この「Napex' 55」は全日本郵趣連盟主催の「第2回郵便切手展」という非競争展の略称で、東海郵趣連盟が当番連盟に当りました。第1回は1953年に大阪で開催されています。

これは全くの推測なのですが、1951年にホノルルで開催された「ハワイ切手100年切手展」に日本も招待され、郵政省から記念や公園切手の原画、小島勇之助、三井高陽、吉田利一、三島良積、八田知雄、金井宏之、大川如水の各氏が作品を出品しています。作品は郵政省切手係長だった中村宗文氏が搬入し、会期中は滞在し切手展の視察をおこなっています。どうも、この辺りから日本に戦後の海外切手展情報がいろいろと入り始め、その結果として「●●pex」というネーミングが導入されたのではないでしょうか。
最初に書いたように、これはあくまで現段階での推測なので、今後も資料の入手をおこない確定していきたいと思っています。
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