バロン・モンテ [外国郵便史]
下の画像は、旧石川良平コレクションにあった日本宛のバロン・モンテ便。
1981年の石川良平在日外国局セールでは、ロット199として売り立てられています。
ペン書きの、バロン・モンテの表示も好ましく、美しいカバーですね。
この手紙、パリ発1870年10月17日、横浜着12月10日なのですが、横浜には受取人が居なかったのでブレストへ転送されています。
日本宛のバロン・モンテ便は極めて少ないのですが、このカバーが現在でも最初期の使用例なのでしょうか?
今でも3通かな?
このバロン:モンテ便は、晋仏戦争によるパリ包囲によるものですが、なにしろ食料が無くてネズミまで食べたと伝えられているくらいです。
この頃のことは、モーパッサンが短編小説として何編も書いているので、それを読むのもカバーの側面史を理解するには、ちょっとした手助けになります。
そう言えば、この包囲下のパリには何人かの日本人も含まれていて、中には志願してプロシア軍と戦った人も居るらしいですね。
1981年の石川良平在日外国局セールでは、ロット199として売り立てられています。
ペン書きの、バロン・モンテの表示も好ましく、美しいカバーですね。
この手紙、パリ発1870年10月17日、横浜着12月10日なのですが、横浜には受取人が居なかったのでブレストへ転送されています。
日本宛のバロン・モンテ便は極めて少ないのですが、このカバーが現在でも最初期の使用例なのでしょうか?
今でも3通かな?
このバロン:モンテ便は、晋仏戦争によるパリ包囲によるものですが、なにしろ食料が無くてネズミまで食べたと伝えられているくらいです。
この頃のことは、モーパッサンが短編小説として何編も書いているので、それを読むのもカバーの側面史を理解するには、ちょっとした手助けになります。
そう言えば、この包囲下のパリには何人かの日本人も含まれていて、中には志願してプロシア軍と戦った人も居るらしいですね。
2014-09-06 22:39
コメント(3)