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スウェーデンの鉄郵印 [外国郵便史]

下の画像は、スウェーデンの数字図案通常切手に押された鉄郵印。
スウェーデンの鉄郵印には多くのタイプがありますが、画像のものは「PKXPタイプ」と呼ばれるもの。

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「PKXP」と言うのは「Postkupeexpedition」=「郵便のコンパートメント」という意味だそうです。
このタイプは、1868〜1950年代という比較的長期間使用されたもので、大別11の基本タイプに分類されますが、画像はタイプ2と呼ばれるものです。

「NR29」と消印内に入っていますが、これが路線番号になります。
この番号を鉄郵印リストで調べると、Falun〜Gävle間のものであることがわかります。
Gävleは、ストックホルムの北方に位置するボスニア湾に面した都市で、Falunは、そこから西へ約100キロの都市です。

スウェーデンの鉄郵印は、同じ路線番号でも運行路線が年代によって異るので、年号が読めることが重要です。
29番の場合は、1950年代までの間に5路線が記録されています。
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ニワトリ? [外国郵便史]

米国にファンシー・キャンセルという面白い消印分野があります。
日本で言えばボタ印のようなものなのですが、各局で作っていたものなので、デザイン的に面白いものが多くて人気があります。
ただし、お高くつくので集めるのが大変そうですが・・・。
もし、安価だったら僕も集めていたと思いますが、本で眺めて楽しむのが精一杯ですね。

下の画像は、伝説的な米国切手収集家の石川良平氏のコレクションにあったもので、クリスティーズのオークション・カタログからスキャンしました。
その道では、超有名なカバーです。

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押されているのが、Waterbury局のファンシー・キャンセルで、拡大したのが下の画像。

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昔から有名な消印で「走るニワトリ」と呼ばれているのですが、これってニワトリなんですかねぇ・・・。
なんだか違う鳥にも見えるのですが、どうでしょうかね。
米国人には、ニワトリがこんな感じに見えるのでしょうか?

石川コレクションの競売では、255,500ドルで売れたそうな。
1993年のことです。
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イギリス・切手発行100年 [外国郵便史]

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画像は、イギリスが1940年5月6日に発行した「切手発行100年記念」切手からの1枚。
1/2d は6種セットの中でも最低額面です。
この切手は好きな切手でもあるので、ゆくゆくは1フレーム作品に仕上げたいとは思ってはいるのですが、気ばかりが先行して実際は何年も放置状態という体たらくな状態です。

データは下記のとおり。
4 1/2d の書留切手付封筒+1/2d 切手が2枚で合計5 1/2d。
Lincoln 局1940年5月18日 → Rickmansworth 局

ということで、発行後間もなくの使用例ということがわかります。
さて料金の内訳ですが書留料金が3dで、重さ1oz までの基本料金が2 1/2d。
これで、5 1/2d のピッタリ料金になります。
この料金は1940年5月1日からなので、本例は料金改正後の早い時期の使用例でもあります。

切手が2枚貼ってあって賑やかしいし、発行後そして料金改正後も早い時期の使用例として気に入っているカバーです。
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ハンガリーの鉄道駅構内印 [外国郵便史]

これまでにも、何回か紹介したハンガリーの鉄道駅構内印。
下の画像もそうなのですが、これまでに紹介したものよりも新しいタイプです。

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台葉書は1882年発行のもので、宛先はフランクフルト。
消印の上部には " BUDAPEST " 。
そして日付の下には " OSTZ, MAGY, ALLAMP. U." と入っているので、ブダペスト中央駅構内で取扱われたことがわかります。

” P. U." というのは、Railway Station のハンガリー語の省略形です。

そして下部に入っている " délután " は、午後ということですから、中央の日付から本例が1887年6月10日午後の取扱であることがわかります。
欲を言えば、フランクフルトの到着印があればよかったのですが。
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石川良平氏のコレクションから [外国郵便史]

僕が子供の頃に雲の上の存在と言うと、市田左右氏と石川良平氏、金井宏之氏の三氏。
そんな思いがあるので、石川良平コレクションの競売目録などもよく見ます。

今日も眺めていて目に留まったのが下の画像のカバー。

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サザビーズ・パークバネットで1981年7月7日に売り立てられた『在日外国郵便局』コレクションの中から、ロット13のもの。

横浜発、南アフリカ宛。
横浜から南アフリカ宛なんて、実数ではどの程度あったのでしょうか?
横浜発となると、かなり希少な宛先だと思います。

右上に貼られた切手は、6セントのペアで合計12セントなので、24セント料金から引くと12セント(6ペンス)の料金不足です。
抹消は香港の "B62" 印。
切手の下にペン書きされている「6」は、その不足分の6ペンスを表しています。

このカバー最大のミソは、宛先である南アフリカ(ケープタウン)に着く前に、料金改正でそれまでの24セントが22セントに引き下げられたこと。
ちゃんと、そのことがカバー上に表現されていて、カバー左のペン書き「10」がそれを表現しています。

素晴らしいカバーですねぇ。

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Japexの頂き物(1) [外国郵便史]

切手展を参観すると、皆さんからよくお土産を頂きます。
今日ご紹介するのは、信州人さんからのもので、わざわざチェコのオークションで落札してくれたそうです。
頂いた2通ともネパールのカバーなのですが、今日はその中から1通をご紹介させていただきます。

下の画像は、1935年発行の4Pice 切手2枚を貼ったインド宛。

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最初に一目見たときには、左の消印から Kathmandu 局の使用例かと思っていたのですが、よく見ると右側の消印は Kathmandu 局ではないじゃないですか!
えっ、どういうこと?と思って、ネパール暦を西暦に換算して調べてみました。
そうしたらこのカバー、宛先不明で戻って来ちゃったカバーであることがわかりました。
しかも、行きと帰りではインドとの交換局が違っているのです。

データを示すと、切手の中央に薄く見える差立地のローカル局は全く判読できません。
切手の左、Kathmandu 局(交換局)1940年9月17日。
切手の右、Bhairahawa 局(交換局)1940年9月12日。
切手の下、インド局1940年9月13日。

ということで、この使用例の流れをまとめると下記のようになります。
差立ローカル局 → Bhairahawa 局(交換局)1940年9月12日 → インド局9月13日 → Kathmandu 局(交換局)9月17日

ここで注目したいのは、Bhairahawa 局とKathmandu 局の消印で、このタイプは " Exchange Nepal " という、インドとの交換局として指定された8局でしか使われていない消印なのです。
しかも交換郵便専用印なので、普通は1枚のカバーに2局も押されることはありません。

このカバーは、たまたま差出人戻しとなったものなので、 " Exchange Nepal " が2局分も押されることになったというわけ。
実は、こうした使用例は初めて目にすることができました。
それにしても、なんで行きと帰りとでは交換局が違うのでしょうかね。
このカバー、次回の作品には即採用になるカバーですね。

ありがとうございました。
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フランス種蒔きの鉄郵印使用例 [外国郵便史]

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フランスの種蒔きシリーズを貼った、ベルギー宛の使用例。
抹消印は、グルノーブル・バランス間の鉄郵印で1909年10月10日の使用例です。
これまでにも何例か紹介してきましたが、鉄郵印が押された使用例だとついつい手が出てしまいます。
どうも子供時分に、鉄郵印に憧れていたクセが抜けないようです。

宛地であるベルギーのブリュッセル到着は翌11日の17-18時で、更に翌日12日5-6時の配達印が押されている、なかなか賑やかな使用例。

5サンチーム切手2枚を貼った10サンチーム料金は外国宛葉書料金なのですが、絵葉書なので、その半分の5サンチームでもよかったと思います。
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種蒔き・ラトビア宛使用例 [外国郵便史]

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画像は、フランスが1926年に発行した種蒔き40サンチーム官製葉書に、種蒔き50サンチーム切手を加貼して90サンチーム料金として使われた、ラトビア宛の使用例。

それまで75サンチーム料金だった外国宛葉書が、1926年8月1日から90サンチームに値上げされたので、その料金に対応します。

消印はナンシーで、1928年11月6日。
ストラスブールを経由地に指定しています。
ストラスブールは、ナンシーの東約150キロ地点のドイツ国境近くの都市ですが、経由地を指定しているところに興味を持って入手しました。

この当時、わざわざ経由地を指定するほどのものだったのでしょうか?
当時の郵便線路図や、交換局の資料があればいいのですが、まだ未入手なのです。
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サージュの国内便使用例 [外国郵便史]

昨日に続いて、タイプ・サージュの使用例ですが、今日のは多量に残されている15サンチームの1枚貼り。

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データは「パリ 1880年12月4日7便」の取集めで、宛地のボルドーには翌日到着です。

昨日、今日とタイプ・サージュの使用例をお見せしたのですが、これには理由があります。
これは、最近になって思ったのですが、多量に残されているタイプ・サージュのカバーでも、消印のスカッとしたものになると、意外と少ないのではないかと。

単なる思い過ごしでしょうかね?
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サージュのスイス宛使用例 [外国郵便史]

画像は、フランスのタイプ・サージュの使用例。
宛先はスイスなので、たくさん残されているので2000円程度で買えます。

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4種類の消印が押されていて、表面にはフランスの、裏面にはスイスのものがそれぞれ有ります。
フランスの消印は、パリ1878年3月25日で6回目の取集め便であることがわかります。
スイスのうち2つは、ジュネーブ3月26日の中継印と、シェーヌ・ブール3月26日の到着印が押されています。

パリからジュネーブまで、翌日配達という早さに驚かされますね。
19世紀後半でもこんなに早いのですから、現代なら当日配達でも良いくらいに感じます。

ここで1つ問題なのが、画像左上のもう1つのスイスのハンコがスリップが大きくて読めないこと。
下の画像がそれ。
3文字目と4文字目がわかりません。

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グーグルの曖昧検索でも引っ掛からないし、いったいどこでしょう?
スイス入国印かな?とも考えているのですが・・・。
どこでしょうかね。
わかる方がいらしたら、ご教示をお願いいたします。
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