年末年始の新宿伊勢丹 [雑記]
このタイトルを見ると「オオ、懐かしい!」と思われる方は多いはず。
そう、伊勢丹本店で毎年開催されていた、切手即売会です。
あの当時は、日本全国のあちこちのデパートで、規模の大小はあるにせよ沢山の切手即売会が開かれていましたね。
その中でも、有名な即売会の1つがこの伊勢丹の年末年始即売会。
僕は、子供でしたが父親に連れで行ってもらっていました。
お年玉を握りしめてね。
藤沢から小田急ロマンスカー「えのしま」号に乗せてもらい行くわけです。今でも覚えていますが、藤沢駅8時46分か48分発だったと思います。
帰りは決まって新宿14時11分発の「えのしま」号でした。
この即売会、大学生以上の知識・経験豊富な収集家には、それなりに戦果のある催しとして有名でしたが、子供の僕には知識の点から、戦果というより沢山の店が見れてそして普通の買物ができることが魅力でした。
カバーを中心に買うのが常だったと思います。
先に「お年玉を握りしめて」と書きましたが、最終的には父親が買ってくれるので、お年玉は無傷で残るのが毎年のこと。
下の画像は、切手商組合が出していた昭和50年12月発行の『スタンプニュース』144号掲載の伊勢丹即売会の広告です。
そう、伊勢丹本店で毎年開催されていた、切手即売会です。
あの当時は、日本全国のあちこちのデパートで、規模の大小はあるにせよ沢山の切手即売会が開かれていましたね。
その中でも、有名な即売会の1つがこの伊勢丹の年末年始即売会。
僕は、子供でしたが父親に連れで行ってもらっていました。
お年玉を握りしめてね。
藤沢から小田急ロマンスカー「えのしま」号に乗せてもらい行くわけです。今でも覚えていますが、藤沢駅8時46分か48分発だったと思います。
帰りは決まって新宿14時11分発の「えのしま」号でした。
この即売会、大学生以上の知識・経験豊富な収集家には、それなりに戦果のある催しとして有名でしたが、子供の僕には知識の点から、戦果というより沢山の店が見れてそして普通の買物ができることが魅力でした。
カバーを中心に買うのが常だったと思います。
先に「お年玉を握りしめて」と書きましたが、最終的には父親が買ってくれるので、お年玉は無傷で残るのが毎年のこと。
下の画像は、切手商組合が出していた昭和50年12月発行の『スタンプニュース』144号掲載の伊勢丹即売会の広告です。
2015-01-04 18:00
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