SSブログ

こんなものが・・・ [雑記]

仕事の合間に必死(?)に片付け。
部屋の片隅に、色々なものが山のように重なっている部分があります。
ちょっとイジると山崩れを起こしかねないので、ずっと手付かずというか、微妙にバランスを取らせながら更に物を置いて山が高くなるエリアです。

さすがに引越しなので、手をつけないわけにもいかないからと、何年振りかわからないけど片付けました。
と、すると最下層から大きな箱が2つ。
「??」と思いつつ、玉手箱を開ける気持ちで開けたのが下の画像です。

IMG_5084.jpeg

「エッ、こんなものが!!」
ハンガリーの1900年と1916年シリーズの使用済が、たぶん万単位の枚数で入っています。
全く忘れ去っていて、どこで購入したのかも覚えていないのですが、ハンガリーを本格的に集め始めた20年くらい前に買ったものかも知れません。

まさか、あの山の中からこんなお宝を発見するとは、なんだか得した気分ですねぇ。
別に得したわけではないんだけど。
コメント(0) 

将来はどうしようか [雑記]

引越しネタです。
月曜日に、マンションの購入代金を全て清算して鍵を受け取りました。
約120平米で4LDKですから、夫婦2人で住むには十分な広さでしょう。
まぁ、それも普通の家庭でならの話ですが・・・。
(我家は、普通じゃありません)

今日は、日通さんへ第1回目の荷物の引き渡しでした。
とりあえず、家内の本を60箱と僕の郵趣本50箱。
それに本棚4本を日通さんの倉庫へ仮置き。

まだ、家に未処理の本棚13本が残っているのと、1年前に日通さんの倉庫に預けた段ボール入りの本が80箱ほどあります。

梱包しながら思っていたのですが、「僕が死んだらどうなるのかな?」と。
切手は売ればいいと思いますが、郵趣本はどうしましょう??
長崎県立図書館には、ある方が寄贈した郵趣図書の大きなコレクションが入っていますが、僕はどうしようかなぁ・・・。
図書館に寄贈しても、利用数が少ないと除籍され処分になるケースもありますしねぇ。

死にそうになったら、そんなことまで考えられないので、普通の人が見て評価が難しい物品は、元気なうちに自分で考えておかないといけませんね。
コメント(1) 

近況報告です [雑記]

ホント、久しぶりの更新です。
この間に「どうした?」「更新が止まってますが・・・」などなど、メールでご心配いただいた方が何人もいらしゃいましたが、お返事することもしないで申し訳ありませんでした。

この春から、生活が激変しておりまして、なかなかペースがつかめず更新が止まっていたのです。
というのも、

3月31日をもって、31年間務めた県庁を早期退職しました。
で、自分で仕事を始めました。

と、言うことはですね、元々福井県とは縁もゆかりも無かった(私は鎌倉市、家内は港区の出身)ことなので、これ以上の田舎暮らしをする必要が無くなったわけでして、結論として関東に引っ越すことにしたのです。
5人育てた子供も全員が手を離れたし、全くの良い機会だったわけですね。

ようやく引越し先も決まり、今週の土曜日に契約、7月の引越しに向けて準備も始まります。
ですが、頭が痛いのは荷物の多さ。
趣味と仕事の本だけで、段ボール箱300〜400箱。
家の中に100箱ほど溜まったら、取り敢えずは日通さんの倉庫へ収納して、全部が揃った段階で輸送となります。
これが、かなり憂鬱な作業で、今からイヤになってます。

当初は6月の引越しを目指して、7月の全日展は新居から参観と思っていたのですが、今の調子で行くと「ギリギリ間に合うかなぁ」って感じです。

取り敢えずは、今のところはこんな調子です。

引越しが済んで落ち着くまでは、頻繁な更新は難しいとは思いますが、16年間続いている本ブログを、お忘れなきようお願いいたします。
コメント(0) 

原稿書き [雑記]

今日は、朝から鉄道郵趣研究会の機関誌『Railway Stamps』向けの記事を書いていました。
幾つかの図版をスキャニングしてトリミングや補正をして、それから原稿書き。
途中、文献を調べるのに1階へ降りたり、2階へ上がったりと本棚の間をウロウロ。
たったの二千数百字なんですが、家の事をしながらだと中断も多くてけっこう時間がかかります。
出来上がった原稿は、数日寝かして手を入れて完成です。
コメント(0) 

「びくにはし雪中」 [雑記]

画像は、タンザニアが1997年に「広重生誕200年記念」として発行した小形シートからの1枚。
この年、切手でちょっとした金儲けをしている各国から、怪しげな「広重200年」切手が沢山発行されました。
そのお陰で、切手としてのクオリティーを別にすれば、多種多彩な広重作品を切手の中に見ることができるようになりました。
もちろん、下の切手もその中の1枚。

19078.jpg

題材は、「江戸名所百景」から「びくにはし雪中」で、現在の場所で言うと、銀座1丁目の首都高速「西銀座JCT」付近になります。
絵の中央に描かれている橋(屋台を担いだ人が渡るところ)が「びくにはし」で、橋の下を流れる川が京橋川になりますが、この川は埋め立てられてしまって、現在はありません。
現在、高速道路が走っているところが、京橋川の跡地になります。

左に大きく「山くじら」と書かれているのはイノシシのことで、描かれた看板は「尾張屋」という有名な店のもの。

それと面白いのは、右の小さな看板。
それを拡大したのが下の画像です。

19080.jpg

看板には「○やき」「十三里」と書かれています。
これは焼芋屋の看板で、1本丸ごと焼くので「○やき」
そして店名の「十三里」とは、栗(九里)より(四里)旨いので「十三里」。
つまり、店名は江戸っ子の洒落というわけ。

面白い版画です。
コメント(0) 

郵便切手貯金台紙(2) [雑記]

昨日と同じネタで申し訳ない!
でも一緒に入手したものなので我慢してください。

昨日ご紹介したものは大正8年製でしたが、今日のは翌9年製です。
この製造年の記し方が両者では若干違っていて8年製は「大正八年」と年号のみですが、9年製は「大正九年八月」と、製造月まで記されています。

19034.jpg

肝心の切手貼付面の標語ですが、8年と9年では全く違っています。
もしかしたら、毎年考えて違う標語を載せていたのでしょうか?

19035.jpg

8年製は茶色で見やすのですが、9年製は黄色の印刷なので、とても見難いですね。
皆さんは読めますでしょうか?
コメント(0) 

郵便切手貯金台紙 [雑記]

台紙に切手をベタベタと貼った郵便貯金台紙。
値段も安いし、一つの使われ方として1枚や2枚は、皆さんのコレクションにも入っていると思います。
僕のアルバムにも、菊切手や田沢切手のものが何枚か収まっています。
ですが、それらは使用済として市場に出てきたものなので、当然のことながら貼付カ所には全て切手が貼られています。
こういう状態が普通なので、未使用のものについては今まで考えたことがありませんでした。
たぶん、皆さんも同じだと思います。

下の画像は、先日入手した未使用の貯金台紙。
入手先は切手商ではなくて、紙物を扱うお店です。
表面に小さく「大正八年株式会社博文館印刷所製」と印刷されていますから、印刷時期の確定はできます。

19032.jpg

僕が面白いと思ったのは、切手貼付面で下の画像がそれ。
普通は切手が貼られてしまい見えないのですが、切手を貼るマス20ヶ所にそれぞれ異なる標語が印刷されていて、一つ一つが面白いのです。

19033.jpg

縦が5ヶ所ありますが、その縦列で一つの標語の流れになっているのです。
いままで、ここまで見たことが無かったのですが、よく出来ているんですねぇ。
感心しました。

コメント(0) 

キャスパリーの腕落ち龍 [雑記]

日本切手、特に初期切手の大きなコレクションの競売として、戦後最初のものといえば1958年10月のキャスパリー競売でしょう。

このオークションの経緯については、当時ニューヨークを訪れていた市田左右一氏が『切手の愉しみ』の中で若干触れています。

氏の著書で触れられているのが、龍二百文の腕落ち龍のこと。
今以上に珍しかった腕落ち龍が、キャスパリー収集には4枚も入っていたとか。

下の画像が、オークションカタログに写真が載っている腕落ち龍で、左は30枚、右は35枚ブロックの中に入っています。
赤枠がその部分で、これは僕が書き込みました。

19030.jpg

あとは、単片で1枚と6枚ブロックで1枚がありますが、これは写真が未掲載です。
今だったら単片でさえカタログの表紙を飾るはずですが、キャスパリー競売では白黒写真でさえ載せていません。

それにしても、腕落ち龍が4枚もあったとは、月並みな言い方ですがスゴイですねぇ。
コメント(0) 

ザブトン [雑記]

皆さんは、自分が作った古いリーフはお持ちですか?
もしかすると、50年前、60年前に作ったリーフを持っている方がいらっしゃるかも知れません。
僕は、小学5年か6年頃のものが数リーフ残っているのが一番古いですね。

下の画像は、それよりもちょっと新しくて、リーフに印刷された製造年を見ると「77.5」って出ていますから、1977年5月のもの。
見ての通り、マーチンの使用済単片を順番に並べただけのもので、マーチンのアルバムの最初のページで、この後に各額面が続くという算段です。

当時は子供なので未使用よりも、大沢スタンプから購入した紙付きが主流だったので、こんなリーフになったわけ。

19028.jpg

ここで、見てもらいたいのは切手ではなくて、切手の下にあるザブトンなんです。
その昔は、ザブトンなんて発想がなくて切手をマウントに入れるか、切手の周囲を枠線で囲むのが一般的。
競争展でもそれが当たり前でしたね。

郵趣サービス社が「台紙セット」としてザブトンを発売したのが1978年。
先ほど記したようにリーフの製造年は1977年ですから、たぶんこのリーフは「台紙セット」が発売された初期の頃に作ったものだと思います。

1976年に刊行された『実戦アルバム作り』の中で、極く一部ですがザブトンに触れられているので、1970年代後半に現在のリーフ技術の一端が確率したのでしょう。
たまたま、手元にある古いリーフを見ながら、ザブトンについて考えたしだい。
コメント(1) 

秀山堂30銭切手研究の画期 [雑記]

1976年に創立30周年を迎えたJPSは、仙台や福岡といった東京以外の地方でも記念大会を開催しました。
その大会で開かれた講演会の一つに今井修氏による「塔30銭切手」があります。
下の画像は、その時に配布された16ページにわたる講演資料からの一部です。

19018.jpg

30周年記念大会という大きな会で塔30銭切手の講演が選ばれたのは、同じ年の『フィラテリスト』2月号で今井修・牧野正久氏の連名で「破れた2枚の秀山堂切手 秀山堂30銭切手の全貌」という、画期的な論文が発表されたことによるものと推測されます。

当時の秀山堂30銭切手は、今井氏の言葉を借りれば「どうも一般的には関心がもたれていない実情が悲しい」ということだったらしい。
それ以前にも、牧野正久氏や三島良績氏、伊東由巳氏による興味深い解説があったものの、一般的には知られず、秀山堂切手の面白味を知ることも少なかったらしい。

そうした意味においても、今井氏による1976年の2つの秀山堂切手に関する発表は、画期的なものであったと評価できるのではないでしょうか。
JPS30周年記念大会での講演では、資料を見る限りにおいては塔30銭切手全般を扱っているのですが、内容の大部分は秀山堂切手に関するものになっていることから、今井氏の思惑は秀山堂切手について知ってもらいたいことにあったに違いないでしょう。

1976年は、秀山堂切手の収集にとって画期的な年だったのではないでしょうか。
コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。