関釜間連絡船 [日本郵便史]
菊切手のコレクションに加えたいものに関釜間船内印があります。
「欲しいな〜」と思い始めて、もう30年近くになるのではないでしょうか。
決して珍しいマテリアルではないので、お金さえ払えば入手できるチャンスはこれまでに何回もありましたが、自分の中で納得価格ではなかったし、なんとなく入手しそびれて月日が経っちゃたというわけです。
皆さん、消印としての関釜連絡船はよくご存知だと思いますが、じゃあ、その船がどんな船だったのかというと、意外とご存知ない方が多いと思います。
下の画像が、その船の1隻。
関釜連絡船には歴代合計15隻に船内局が置かれましたが、画像は薩摩丸です。
薩摩丸は1939トンで、明治41年4月21日に雇船として関釜航路に就航しています。
僕の印象ですが、平べったくて、なんだか貧相な船ですね。
「欲しいな〜」と思い始めて、もう30年近くになるのではないでしょうか。
決して珍しいマテリアルではないので、お金さえ払えば入手できるチャンスはこれまでに何回もありましたが、自分の中で納得価格ではなかったし、なんとなく入手しそびれて月日が経っちゃたというわけです。
皆さん、消印としての関釜連絡船はよくご存知だと思いますが、じゃあ、その船がどんな船だったのかというと、意外とご存知ない方が多いと思います。
下の画像が、その船の1隻。
関釜連絡船には歴代合計15隻に船内局が置かれましたが、画像は薩摩丸です。
薩摩丸は1939トンで、明治41年4月21日に雇船として関釜航路に就航しています。
僕の印象ですが、平べったくて、なんだか貧相な船ですね。
2017-07-05 19:46
コメント(1)
薩摩丸は明治18年に進水した船ですからね。当時の貨客船の船型は、こんなもんです。明治41年に日本郵船から鉄道省に用船となって明治44解用されたのはご存知の通りです。薩摩丸は昭和20年の4月に、アメリカの潜水艦攻撃により沈没しています。詳しくは以下を参照して下さい。
http://jpnships.g.dgdg.jp//company/kyodounyu_list1.htm#satsumamaru
by 伊藤昭彦 (2017-07-06 09:38)