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「カバー収集の歴史連載シリーズ」(2) [文献]

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柳原友治氏による「カバー収集の歴史連載シリーズ」(2)は、『カバー研究』43号(昭和57年3月)掲載のもの。
本号では、関東局始政30年記念と第1次昭和5厘切手の発行について、氏の経験を書かれています。

当時、切手の発行枚数は未公表だったのですが、関東局始政30年については「満州日日新聞」紙上に発表があり、氏は奈良県立図書館でそれを閲覧し知ったとのことです。しかし、そのあまりに少ない数字にそれを信用しなかったとのこと。
その本当に少ない発行枚数を実感したのは発行後のことで、特に少なかった10銭は、弟が住んでいた安東ではシートを手に入れたものの、大連中央局に頼んだ分は、ひと月近くたってから弁明書と一緒に、単片がたったの1枚だけ送られて来たそうです。
大連中央局では、各局から残品を集めてもそのような状況だったということで、発行当時から大幅に不足していたことがわかります。

第1次昭和5厘切手は、初日に窓口に出たのは横浜局のみで、東京中央局でさえ発行翌日だったとのことです。
図版として、収友から送られた東京中央局での売り出し初日である、昭和12年11月2日の5厘田型貼の葉書使用例が紹介されています。

柳原氏のような収歴の長い方の昔話には、記録として貴重な証言が多く含まれており、私たちのような後進には有り難いものです。
コメント(6) 

コメント 6

tabito

昔、夜10時頃だったと思いますが、柳原さんから電話が掛かってきました。たった一度だけ、用件・内容は忘れましたが。確か少し甲高い声だったと思います。懐かしくなりまして。
by tabito (2014-10-02 19:51) 

kumaokumakichikumako

はじめて書き込みします。実は、画像にある奈良市西笹鉾町は私の生まれ育った場所の隣で同じ町内と言っていいくらいの場所です。柳原氏は地元の銀行の総務におられたことを後から知りましたが、私が切手の世界に深入りする前に亡くなったおじと銀行で同じ部署の上司だったはず、おじが存命ならいろいろ話を聞けたのに、もっと早く切手を集めていたら柳原氏御本人とお会いでき、占領フィリピンだけでなくもっと幅広く収集してたのでは、とちょっと感傷的になりました。
by kumaokumakichikumako (2014-10-03 02:53) 

tabito

南都銀行だったですね。
by tabito (2014-10-03 18:56) 

stamp

tabito さま
いつも、ありがとうございます。
僕は柳原さんに、2次円単位30円円覚寺の全型目打について、ご教示を得た事が有ります。
好々爺な感じを受けました。
by stamp (2014-10-04 21:54) 

stamp

kumaokumakichikumako さま
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
収集界に南都銀行関係のカバーが沢山残されていますが、柳原さんのおかげで、貴重な使用例が色々と残されることとなりました。
感謝です。
by stamp (2014-10-04 21:58) 

渡辺達夫

小生も、昭和40年代初頭に大変お世話になりました。
by 渡辺達夫 (2014-10-04 23:18) 

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