鉄郵印・一ノ関大船渡間 [日本郵便史]
鉄郵印のアルバム見ていて、目に留まったのが下の切手。
昭和45年3月24日の一関大船渡間、上り2便の鉄郵印です。
特に珍しいものではないし、ごく普通の使用例。
東日本大震災から8年が経ちましたが、甚大な被害を受けて、まだまだ復興途上である陸前高田市の復興支援に、今でも年に数回ですが、お邪魔して本職の立場からお手伝いをさせていただいています。
いつも、東北新幹線で一ノ関で降りて、大船渡線に乗り換え、気仙沼まで鉄道で行くわけです。
陸前高田に行くには、そこでBRTに乗り換えるわけですが、本来は鉄道が気仙沼から先、陸前高田を経由して大船渡まで行っていました。
ですが、今では気仙沼から先は、被害が大きかったためにBRTでの運行に切り替わってしまっています。
ここまで書けば、おわかりですね。
この消印、今のBRT区間も含んだ大船渡線の鉄郵印。
津波で失われてしまった、原日本的な風景の中をのんびりと走っていた郵便車で押されたもの。
今は無き鉄道の存在を示す使用例です。
昭和45年3月24日の一関大船渡間、上り2便の鉄郵印です。
特に珍しいものではないし、ごく普通の使用例。
東日本大震災から8年が経ちましたが、甚大な被害を受けて、まだまだ復興途上である陸前高田市の復興支援に、今でも年に数回ですが、お邪魔して本職の立場からお手伝いをさせていただいています。
いつも、東北新幹線で一ノ関で降りて、大船渡線に乗り換え、気仙沼まで鉄道で行くわけです。
陸前高田に行くには、そこでBRTに乗り換えるわけですが、本来は鉄道が気仙沼から先、陸前高田を経由して大船渡まで行っていました。
ですが、今では気仙沼から先は、被害が大きかったためにBRTでの運行に切り替わってしまっています。
ここまで書けば、おわかりですね。
この消印、今のBRT区間も含んだ大船渡線の鉄郵印。
津波で失われてしまった、原日本的な風景の中をのんびりと走っていた郵便車で押されたもの。
今は無き鉄道の存在を示す使用例です。
2019-03-25 20:58
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