軽井沢 → 東京 [日本郵便史]
画像は、以前にも紹介したことがある明治29年6月15日に軽井沢から東京へ宛てたはがき。
驚いたことに、同日着になっています。
今だったら、翌日になると思いますが・・・。
現在より早い到達速度を示すことは、鉄道の発達と共にけっこう目に付きますが、これもその一例です。
消印部分の拡大が下の画像で、軽井沢は「イ」便で、東京は「ヲ」便です。
手元に、明治29年の鉄道時刻表が無くて、近接した時期では27年11月と29年9月がありました。
両者を見比べると、ほぼ同じ内容(数分の違いがあるばあいもある)なので、大勢に影響は無いと思います。
それで見ていくと、軽井沢「イ」便に対応するのは12時20分発で、高崎に15時に到着。
そこで高崎15時21分発に積み替えられ、上野に18時40分の到着。
実は、軽井沢発は午前中に2便あるのですが、それらが軽井沢発と長野発の区間便なので、恐らく郵便物の搭載はないだろうと考えています。
仮に午前便への搭載があったとしたら、東京の便号がもっと早いはずですし。
下の画像は、保存されている旧軽井沢郵便局です。
驚いたことに、同日着になっています。
今だったら、翌日になると思いますが・・・。
現在より早い到達速度を示すことは、鉄道の発達と共にけっこう目に付きますが、これもその一例です。
消印部分の拡大が下の画像で、軽井沢は「イ」便で、東京は「ヲ」便です。
手元に、明治29年の鉄道時刻表が無くて、近接した時期では27年11月と29年9月がありました。
両者を見比べると、ほぼ同じ内容(数分の違いがあるばあいもある)なので、大勢に影響は無いと思います。
それで見ていくと、軽井沢「イ」便に対応するのは12時20分発で、高崎に15時に到着。
そこで高崎15時21分発に積み替えられ、上野に18時40分の到着。
実は、軽井沢発は午前中に2便あるのですが、それらが軽井沢発と長野発の区間便なので、恐らく郵便物の搭載はないだろうと考えています。
仮に午前便への搭載があったとしたら、東京の便号がもっと早いはずですし。
下の画像は、保存されている旧軽井沢郵便局です。
2019-03-17 15:11
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