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機関車500円のシート [日本切手]

この話は、以前から機会があるごとに知人には話しているので、ご存知の方も多いのですが、文字に記すのは初めてです。
仮にA氏としておきましょう。

A氏は、お亡くなりになってもう10年以上は経ちます。
コレクションは、市場に出ているのを見たことがありませんから、生前のままの状態で娘さんが管理をされているはず。
最後に娘さんにお会いしたときも、「処分するつもりは無い」とおっしゃっていました。
奥様も娘さんも、個々のマテリアルの評価は別にしても、コレクション全体としての希少性はよく認識されていました。

氏は地元の収集家とは、ほとんど交わりはありませんでした。
正確に言うと、若い頃は地元での交流をされていたのですが、あることがきっかけで没交渉的になられたようです。
そんな方と僕が交流することができたのは、僕が地元とはしがらみがない、他所からの転入者だからだったと思います。

折に触れて、A氏の様々なコレクションを見せていただきました。
我家からは、自転車で10分ほどの距離だったので、暇を見つけては話し込みによくお邪魔していました。
後で知った事なのですが、コレクションをあれほどまでにじっくりと何度も見せた人は、僕以外にはいなかっとのこと。
地元の初期郵便史では、未発表のマテリアルがズラズラとリーフに。
今でも残念に思うのですが、氏が最も気に入っていた警察署発のカバーがあったのですが、なんで貴重なマテリアルだったのかが思い出せないのです。
「これを見た時にはホント驚きました」
とおっしゃっり、熱のこもった解説だったのですが・・・。
あの頃は、地方郵便史に興味が無かったので、メモを一切取らなかったのが悔やまれます。

ある日、例によってお茶を飲みながら昭和切手関係の話でもしていたのだと思います。
「こんなのが、あるんですよ」と言って金庫から出して来たシートファイルに収まっていたのが機関車500円のシート。
「えー!」
っと驚いた顔をしていたら、
「郵便局から頼まれましてね」
と言うお話。
なんでも、本省へ引き上げる時に郵便局から購入を頼まれたとのこと。
「引き上げの手続きが面倒だから、買ってくれって言ったのでしょうね」
「在庫を全部押し付けられました」
と淡々と、おっしゃっていました。

A氏は、戦後ヤミ市の商売からスタートしたそうで、お住いもヤミ市があった場所の一角でした。
戦後の混乱期のことは微妙な問題が絡むので、僕は相手が話すまで深く突っ込まない主義。その方が、かえって相手が安心してよく喋ってくれるのです。
だから、正確な事はわからないのですが、氏がポツポツと話した点を繋いでいくと、どうも氏はヤミ市の顔役的な存在だったみたいなのです。
それが、のちに生業へと繋がったのには整合性があり納得ができます。

A氏は、ヤミ市やその後の生業で得た資金を切手に注ぎ込みました。
氏が話してくれた断片的な事から、ヤミ市での上がりが相当な金額だったらしく、それを元手に生業を始めたのです。
その結果、手彫切手や地元郵便史を中心とした、素晴らしいコレクションを作り上げ、たまたまその中に機関車500円のシートが含まれたのです。

氏と郵便局との繋がりは深く、地元では一番の切手の顧客だったと見えて、ある意味ツーカーの仲だったと言えます。
郵便局と持ちつ持たれつ的な仲であった事は、昭和20年代、30年代の氏のいろいろな話の節々からよく伝わって来ました。
そうした郵便局との関係が、今に伝わる機関車500円のシートを産んだと言えます。

僕がそのシートを見てから二十数年。
機関車500円のシートは、当時は綺麗な状態でした。

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