モーリシャス・デールカバー [外国切手]
モーリシャスの初期切手というのは、全世界の収集家にとって魅惑の切手と言っても過言ではないと思います。
それは、希少性とストーリー性の両方を併せ持っているからにほかありません。
もし、このどちらか片方が欠落していたとしたら、恐らく普通の珍品切手で終わっていたことでしょう。
そのモーリシャス初期の切手には、幾つかの超有名なマテリアルがあり、その1つが今日ご紹介する「デールカバー」と呼ばれるものです。
「デール」と言うのは、以前の所蔵者であったLouise Boyd Daleから付いた愛称。
Louise Boyd Daleが1967年に亡くなったのち、彼女のコレクションはH. R. Harmer社によって競売にかけられました。
その第1回目が1968年10月21日に行われたのですが(上の画像がカタログの表紙)、そのロット1、すなわち11回に分けられた大競売のトップに選ばれたのが、デールカバーと呼ばれた下の画像のカバーです。
このカバーだけに見開き2ページを使い、さらに別ページにカラー図版まで載せています。
この編集を見ても、Harmer社のこのカバーに対する力の入れようが伝わって来ますし、当時の競売カタログでは破格の扱いです。
このカバーは、1ペンスのポスト・オフィス切手が2枚貼られ、1850年1月4日にインドのボンベイに送られたものです。
有名な話ですが、この競売には日本から金井宏之氏と橘喬一氏が参加しており、競売の詳しいルポが『Kanai Stamp Radar』1969年1月号に掲載されています。
このカバーの落札者は、高級品を専門に扱う大切手商のレイモンド・ウェル氏で38万ドル(当時の日本円で1億3千6百万円)でした。
この落札の様子は、その日の夜のうちに全米のテレビニュースで放送されたそうで、最高額レコードを記録した切手として、一般的にも衝撃的なニュースだったのでしょう。
それは、希少性とストーリー性の両方を併せ持っているからにほかありません。
もし、このどちらか片方が欠落していたとしたら、恐らく普通の珍品切手で終わっていたことでしょう。
そのモーリシャス初期の切手には、幾つかの超有名なマテリアルがあり、その1つが今日ご紹介する「デールカバー」と呼ばれるものです。
「デール」と言うのは、以前の所蔵者であったLouise Boyd Daleから付いた愛称。
Louise Boyd Daleが1967年に亡くなったのち、彼女のコレクションはH. R. Harmer社によって競売にかけられました。
その第1回目が1968年10月21日に行われたのですが(上の画像がカタログの表紙)、そのロット1、すなわち11回に分けられた大競売のトップに選ばれたのが、デールカバーと呼ばれた下の画像のカバーです。
このカバーだけに見開き2ページを使い、さらに別ページにカラー図版まで載せています。
この編集を見ても、Harmer社のこのカバーに対する力の入れようが伝わって来ますし、当時の競売カタログでは破格の扱いです。
このカバーは、1ペンスのポスト・オフィス切手が2枚貼られ、1850年1月4日にインドのボンベイに送られたものです。
有名な話ですが、この競売には日本から金井宏之氏と橘喬一氏が参加しており、競売の詳しいルポが『Kanai Stamp Radar』1969年1月号に掲載されています。
このカバーの落札者は、高級品を専門に扱う大切手商のレイモンド・ウェル氏で38万ドル(当時の日本円で1億3千6百万円)でした。
この落札の様子は、その日の夜のうちに全米のテレビニュースで放送されたそうで、最高額レコードを記録した切手として、一般的にも衝撃的なニュースだったのでしょう。
2018-03-17 20:43
コメント(1)
リキテンシュタインはボルドーとボンベイの2種類のカバーを入手出来た人物でしたが、実際はこちらのカバーを所有し続けました。
単なる好みの問題であったのか、はたまた別の、誰にもわからない理由があったのか、その点はとても興味深いものを感じます。
by わたなべ (2018-03-24 12:55)