戦前の風景印・藤沢局 [風景印]
画像は、神奈川県藤沢局の戦前の風景印。
藤沢局というのは、実家の隣町みたいな所にあるので馴染みがあります。
高校時代は、小田急線の藤沢駅を利用して通学していたくらいですからね。
図案は、東海道の松並木と遊行寺、そしてゴルファーを描いたもので、優秀な図案が多い戦前の風景印としては「駄作かな」なんて思っています。
それでゴルファーなんですが、これは戦前に名門倶楽部だった藤沢カントリー倶楽部を現しているんですね。
同倶楽部は、昭和7年にオープンしたのですが、戦争の影響を受けて昭和18年に閉鎖され、海軍藤沢飛行場となってしまいました。
戦後は、東洋航空藤沢飛行場となって、これも昭和39年に廃止。
今は、荏原製作所の工場と県立高校、県立体育センターなどになっています。
古い風景印を辿ると、今は無い地域の歴史を知ることができます。
藤沢局というのは、実家の隣町みたいな所にあるので馴染みがあります。
高校時代は、小田急線の藤沢駅を利用して通学していたくらいですからね。
図案は、東海道の松並木と遊行寺、そしてゴルファーを描いたもので、優秀な図案が多い戦前の風景印としては「駄作かな」なんて思っています。
それでゴルファーなんですが、これは戦前に名門倶楽部だった藤沢カントリー倶楽部を現しているんですね。
同倶楽部は、昭和7年にオープンしたのですが、戦争の影響を受けて昭和18年に閉鎖され、海軍藤沢飛行場となってしまいました。
戦後は、東洋航空藤沢飛行場となって、これも昭和39年に廃止。
今は、荏原製作所の工場と県立高校、県立体育センターなどになっています。
古い風景印を辿ると、今は無い地域の歴史を知ることができます。
2017-07-01 14:26
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