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明治16年5月福井発大坂行きの逓送 [日本郵便史]

旧小判1銭を2枚貼って、福井から大坂へ宛てた書状使用例。
切手も普通、ハンコも普通、発地・宛地とも極めて一般的な、ごく普通の使用例です。

19073.jpg

この時期、福井にはまだ鉄道が来ていなくて敦賀まででした。
そこで考えたのが、どのような逓送だったのか?ということ。

大坂局の消印が「明治16年5月8日ロ便」ということは解っているので、そこから時刻表などを見ながら逆算したところ、下記のような結果となりました。

5月6日
福井局ろ便 →(徒歩)→ 敦賀局
敦賀・福井間の鉄道開通は明治29年7月なので、敦賀まで徒歩であることは確定。

5月7日
敦賀15時20分 →(鉄道)→ 洞道口16時10分
(徒歩)
柳ケ瀬17時45分 →(鉄道)→ 長浜19時
長浜21時 →(汽船) → 大津
この時期、敦賀発の洞道口行きの列車は7時45分発と15時20分発の2便のみ。
朝便に乗せられた可能性も否定はできませんが、後行程の接続と福井・敦賀間の距離および徒歩による山越えを考えると、午後便の可能性が高いと判断しています。
洞道口駅と柳ケ瀬駅の間には、難工事であった柳ケ瀬トンネルがあり、この時期はまだ未開通。このため旅客は、洞道口駅で列車を降り、徒歩で隣の柳ケ瀬駅まで行き、そこで再度列車に乗るという変則的な旅行でした。
柳ケ瀬トンネルが開通して、敦賀・長浜間の直通運転が行われるようになったのは明治17年4月のこと。
接続する列車は柳ケ瀬駅17時45分発で、この列車は長浜港21時発の琵琶湖連絡船に接続しています。

5月8日
大津6時15分 →(鉄道)→ 大坂8時
大坂局ロ便配達
夜行の琵琶湖連絡船から、大津6時15分発の列車に乗せられ、途中の京都駅で接続列車に積み替えられ、大坂駅に8時着後ロ便にて配達。

安価な普通の使用例でも、調べてみると、ここまでは解明することが可能です。
上記の事柄を整理すれば、これでちょっと凝った1リーフが完成。
カバーを貼って、単純に消印データを書き込んだだけよりも、見栄えのするリーフになります。
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