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「「桜切手」脱稿まで その2 松田および政府印刷」 [文献]

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昭和40年5月発行の『全日本郵趣』26号に、「「桜切手」脱稿まで その2 松田および政府印刷」という解説が掲載されています。
著者は、もちろんドクター・市田。

本稿は、英文『桜切手』の発行にあわせて、そのエピソードを紹介すると言う趣旨の連載で、その2回目に、桜切手の分類において極めて重要な松田印刷と政府印刷の分類に、どのようにして気付いたのかが紹介されています。

二次的な引用文などでもよく紹介されているので、皆さんもその経緯についてはよくご存知だと思いますが、オリジナルな記録は本文が始めてのことと思います。

ドクターが、リオデジャネイロのホテルでこの分類に気付くきっかけとなったのは、大柴氏の『日本郵便切手詳解』41ページに記録されている下記の公事によってだそうです。

「明治五年九月四日 紙幣寮は新に彫刻課を設け、従来三井組構内に在りし作業場を本寮に移して之に充つ。
 是より先、郵便切手・紙幣等製造の事は松田敦朝に請負はしめたるが、一私人に委任するの不可なるは勿論にして且つ厳正の取締を為さんが為に、以後版面の彫刻のみ同人に命じ、製造諸般の業務は紙幣寮に於て直接之に従ふこととす。中属佐田清次等之を監督す」

つまり、この記録により、松田が印刷をおこなっていた時期と、政府が印刷を直接行った時期の2時期に分類出来る。そして、それを裏付けるように青1銭、朱2銭、緑10銭、茶半銭などに2種類の色調があるではないかと。
最初の着目は色調の違いでしたが、その後、目打や紙など幾つもの相違があることがわかり、考えが補強されていきました。
この発見は、切手の分類と歴史上の出来事を関連づけて考察するという、今までに無い郵趣研究の成果でした。

その後、この考えに否定的な見解も示されましたが、考えを覆す結果にはなっていないのはご存知のとおりです。

本文は、その重要性からぜひ一読される事をお勧めいたします。
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